香港からこんにちは

イギリスのBREXITも、香港の逃亡犯条例反対を端に発したデモも、米中貿易戦争も、ホルムズ海峡の石油タンカー拿捕も、、、もうあっちもこっちも世界中で不穏な動き。 どのようなものであれ、変化にはどこかで痛みが伴う、ということなのでしょうか。。。

さて、先週からの続きです。 ロンドン中心部にある高級住宅街、Mayfair (メイフェア) 地区。

端正なジョージ王朝様式や、エレガントなヴィクトリア王朝様式のタウンハウスが並び、イギリスの歴史や成熟した文化が現存する美しいエリアです。 

 

2000年代初頭、世界的美術品競売会社 Christie’s (クリスティーズ) 附属の学校に通っていた私は、早朝と夕暮れに通るメイフェアが大好きでした。

 

四季それぞれに自然が美しい Hyde Park (ハイドパーク) を歩いて抜けた後、The Dorchester (ドーチェスターホテル) のフロントガーデンが季節ごとに美しい Park Lane (パークレーン) サイドからメイフェア地区に入り、Sir Winston Spencer-Churchill (サー・ウィンストン・チャーチル英元首相) が幼少期を過ごした Berkeley Square (バークレースクエア)、ハイジュエラーが集まる New Bond Street (ニューボンドストリート) を通り、Hotel Ritz (リッツホテル)を通り過ぎて、King’s Street (キングストリート) のクリスティーズに通う、、という自宅との往復コース。 

 

クリスティーズのあるキングストリートから通りを一本隔てたところには、長い歴史を誇るジェントルマンズクラブが並ぶ Pall Mall (パルマル)、そして目と鼻の先には Prince of Wales (チャールズ皇太子) の住居 Clarence House (クラレンスハウス) があり、チャールズ皇太子を乗せたランドローバーが、護衛に先導されて通り過ぎるのを何度か見かけました。 

 

そんな中、きっかけはよく覚えていませんが、クリスティーズで仲良くなった年上の女友達に、Ellie (エリー) がいました。

選択したレクチャーがたまたま同じものが多く、お互い「あらあなた、また会ったわね」というかんじで会話をするようになったのが始まりだったようなに記憶していますが、気が合わなければ、きっと顔見知り程度で終わっていたと思いますので、やはり、彼女とはどこか波長の合う者同士だったのでしょう。

その後、クリスティーズつながりで、V&A Museum (ヴィクトリア&アルバートミュージアム) や、Serpentine Gallery (サーペンタインギャラリー) のパーティに一緒に顔を出したこともありました。 

そんな彼女は、メイフェアの Grosvenor Square (グロヴナースクエア) にオフィスを構える、当時は泣く子も黙る米系ヘッジファンド会社のロンドンパートナー。

 

2000年代初頭のロンドンは、メイフェアで石を投げればヘッジファンドの社員に当たると言われていたくらい、ヘッジファンドのオフィスが集まっていた時代でした。

親の代からイギリスへ移住したという、生まれも育ちもロンドンの、レバノン系イギリス人の聡明な年上友人のエリー。

いつものよう受けたクリスティーズのイブニングレクチャーの後、エリーに、今度見たいダイヤモンドがあるから一緒に行かないかと軽く誘われて、これまたいつものような、メイフェアのアートギャラリーで、若手アーティストのエキシビションオープニングパーティがあるから一緒にどう?といったノリだったので、てっきりその路線かと思った私は、軽く二つ返事で、もちろんOK。 

 

その後、彼女から日時指定の連絡が来て、あら予約してるのね、、と一瞬思ったのですが、まだそこでは深く考えず、当日、待ち合わせのカフェに早めに行って街行く人々を眺めていました。

 

そして、夕方仕事を早めに終えたエリーがカフェに現れ一緒に向かったジュエラーは、、、

私がロンドンに住み始めた1990年代から、何度となくそのブティックの前を通り、ショウケースを見るたびに、天地がひっくり返るような衝撃と感動を受けていた『GRAFF』本店。

GRAFF は当時まだ、日本だけでなくアジアには入っておらず、日本でその存在を知っている人は殆どいなかったと思います。

ロンドンに住み始めた頃、最初に GRAFF を見た私は、宝石商である父に「凄いジュエラーがある!」と興奮して報告したのを覚えています。

 

今でこそ一般市場用に小ぶりのダイヤモンドやメレダイヤを使ったデザインを発表する GRAFF ですが、 当時の GRAFF の天然ダイヤモンドは、装飾用ジュエリーというよりまさに、動かせる資産。

ほとんど全て一石が20キャラット以上、どんなに小ぶりのものでも一石15キャラット以下のものはないという世界。

 

しかも、石の透明度、色、カッティングによるプロポーション等、全てにおいて奇跡とも言える、おそらく地球上で最極上品と断言できる質の数々。。。 

最初の出会いのあまりの衝撃にノックアウトされた私は、この GRAFF とはいったい何者? どこの国のジュエラー? どの鉱山から採掘? どんなルートで研磨?、、、などと、一気に興味が湧き血が騒ぎ出したのを覚えています。

ダイヤモンドで有名なニューヨーク発の高級ジュエリーがかわいいアクセサリーに見えてしまうほど、GRAFF の石の圧倒的な大きさとその質に、凄い世界があるものだと腰が抜けるほどの衝撃を受けたのです。

 

GRAFF の顧客は自ずと、中東、ロシア、ヨーロッパ、インド、ギリシャの王族や海運系大富豪など。 石油をはじめとする自然資源による富は圧倒的なのですね。

東南アジアでは唯一、初期の頃からブルネイの王族が顧客であり、その頃にブルネイロイヤルファミリーと強いつながりを持ったことが、GRAFF にとって現在の発展の鍵となる最高の幸運だったと言われています。 そしてブルネイはやはり、世界一とも言われる膨大な石油埋蔵国。

彼女と歩きながら、行き先を始めて知った私。 OMG (Oh my god) エリー!、そんなことなら教えてくれれば、もう少し気持ちの準備もできたのに。。。 いや待てよ、どこに行くのかも聞かずに軽く承諾したのは私の方だった。。。 というか、教えられていたら私、前日から興奮して熱を出していたかも。。。 ということは、予告なしを決行した (というか単に忘れた?) 彼女に、感謝すべきか。。。

などなど、もう半ば訳の分からない思考回路になっている私は、頭の中とは裏腹に顔は何とか平静を装い、スペースシャトルに乗り込む子猫のような面持ちで、衝撃の出会いから5年近く経って初めて GRAFF ロンドン本店に足を踏み入れたのでした。

To be continued…

 

JUN