香港STYLE Vol.51 英系資本と華人資本 (2018.12.22)

香港からこんにちは

 

アヘン戦争終結後の南京条約により、香港島が英国に割譲され、1842年に始まった英国の植民地統治。

150年以上に及ぶ自由放任、自由競争主義を核とした英国流の統治は、香港に目覚ましい発展をもたらしました。

水深など貿易港に最適な天然の良港、どこへ行くにも近い東アジアの中心という立地的な優位性、明朗快活で闊達、頭の回転が早い華南地区広東省の香港人資質。。。

 

あの英国が、それらを全く知らずにアヘン戦争で偶然香港を手に入れたわけがありません。 英国にしてみれば、香港は早くから狙った獲物だったはず。

現に、宗主国イギリス政府より任命された香港総督は歴代、英国君主の名代として大きな権限を持ち、政治的にも軍事的にも大変重要視されたポストだったといいます。 

そして香港が持つあらゆる可能性と好諸条件を見抜いていた英国は、それらを一体化させながら、自由放任主義と英国流の統治で、香港をアジア一の金融・貿易の中心地に作りあげていきました。

 

 

 

とはいえ、宗主国イギリスに対し従属国香港、という力関係であることには違いない、それが植民地統治であり、植民地経済。

英国人と香港人の利益が衝突するような場面では、香港側の意見は巧妙にあっさりと無視され、宗主国、支配層に利益がもたらされさえすればそれでよいという、英系資本の経済独占支配は続きました。

発券業務を含む金融、不動産、通信、電力、ガス、交通機関、教育、医療、道路や橋、トンネルなどのインフラや、各種公益事業においての権益など、香港経済は全英系資本により占められました。 この名残や影響は、現在の香港社会でも、あらゆる場面で見られます。 

 

日清戦争、2度の世界大戦、「暗黒の3年8ヶ月」と呼ばれる日本占領時代、朝鮮戦争、文化大革命、オイルショックなど、国際情勢の混乱に影響を受けた経済危機の波を幾度も乗り越え、その都度目覚ましい発展を遂げてきた香港。

その経済を根幹で支配していたのは英系資本でしたが、支えていたのは他でもない、地元香港人。

「もっと稼ぎたい」「もっと先に出たい」という旺盛な経済意欲、起業家精神意欲を持つ香港人の華人資本が、時代の流れと共に、支配層である植民地経済構造の隙間に入り込んでいったのです。
 
 
 

もともと香港には、小さいながら当地資本といえるものが、実はあるにはありました。

主に中国内地との交易や小中規模の食品加工業、プラスティックなどの軽工業、玩具から薬品まで製造業や小売り業、バス会社などがそれで、後に財閥化する華人資本のいくつかは、ここからスタートしているものもあります。

また、古くからある華人一族による、例えば、利 (Lee)家 (Opium King と呼ばれた利希慎 (Lee Hysan)  が、アヘン商人と組んだオピウム (アヘン) の取引きで巨額の財を成した父親からビジネスを受け継ぎ、のちに不動産や土地開発にも着手した、香港の名門華人ファミリー) の資本などもありました。

本当の意味で、華人資本が香港植民地経済構造の隙間へ入り込み、資本の力関係の変化が如実に見え始めたのが、1970年代。 戦後香港で勃興、1960〜70年代の不動産ブームで急成長した新興財閥が、英系資本を脅かすような形で発展、コングマリットとして巨大化していきました。

鴻基地產發展有限公司 (Sun Hung KaI Properties Limited)、新世界發展 (New World Development)、恒基兆業地產 (Henderson Land Development Company Limited)、そして、長江實業集團有限公司 (Cheung Kong Holdings Limited)。 

これら香港の4大財閥の事業は、不動産開発・投資、プロパティマネジメント、ホテル経営、証券投資、施設管理、インフラストラクチャー、通信、などに多岐に渡るもの。

 

それまでは、英系資本が植民地政府である香港政庁との強い関係を背景に、香港経済を独占支配していましたが、不動産進出を契機に勢いを増した華人資本が支配層に加わり、最終的には英系資本を華人資本が買収すると言う、力関係の逆転現象が起こっていきました。

香港の優れた投資環境に引き寄せられた金融、不動産、商業などのサービス分野が世界中から進出し、多国籍企業がアジア地域の統括本部を香港に置くなど、華人資本の台頭が、対中ビジネスだけでなく、結果的には世界中の多様な資本をますます香港に引き寄せるという流れになっていったのです。

 

次回は、ある華人財閥総裁の人生から見える、返還直前までの香港の軌跡をたどってみたいと思います

 

JUN

香港STYLE Vol.50 ある数字から想う香港 (2018.12.15)

香港からこんにちは

 

今年の1月からスタートした香港STYLEですが、気がつけばおかげ様で今回が50回。 不思議な魅力を持つ香港という街を、現地生活者の目線で、とりとめもなく紹介して参りました。

 

思えば、日本人両親のもと、英国統治下真っ只中の香港で生まれ幼少期を過ごし、英国の香港統治が終了し中国に返還された年に、英国へ移住。 十数年の英国生活を経て、また再び香港に住むことになった時、私の中の「日本・香港・英国」をつなぐ目に見えない糸の存在を、感じずにはいられませんでした。

淺水灣 (Repulse Bay) にて。

 

「50回」 50回目の香港STYLE。 

ハーフ・アニバーサリー的な小さな節目。 本当に取るに足らない、小さな小さな節目ですが、香港と関連付けた時、私の中で「50」という数字は、また別の大きな意味を持っていることに気がつきました。 

 

「50年」 50年の不変。 

自由放任資本主義で社会が成り立ってきた英国統治下の香港が、一党独裁社会主義の中国に引き渡されるという、宗主側としても例がない植民地支配終了の、建て前上は円満撤退。 しかし蓋を開ければ、あの英国が譲歩する形ともなった返還交渉に際して、当時の中国最高指導者・鄧小平が、不安がる香港民をなだめ、返還を平穏に移行させる便宜策として構想した、香港の「一国二制度」。 

それが香港で維持されるはずの年数が「50年」なのです。

 

香港STYLE「50回」という、ミジンコより小さい私的な節目に、「50年」という、香港にとって壮大かつ重要な意味合いを持つ年月を重ね合わせるのは、単に数字が同じとはいえ、身の程知らずというか大袈裟であることは充分承知しています。

それでも、200年住んでも簡単に語れるほどヤワな街ではない「香港」を、英国と香港にどっぷり浸かりながら、失うことはなかった香港への敬愛の意を込めて、この機会に何回かに分けて、少しだけお話ししてみたいと思います

 

改めて、、、香港。 

 

ほとんどの日本人にとって、現在の香港といえば「ショッピングとグルメ」、「気軽に行ける海外旅行先」といったイメージでしょうか。 

ヨーロッパの高級ブランド品や宝飾品、高級時計、骨董品、裏路地に並ぶ屋台の日用雑貨、合法非合法の露天で売られる激安ITものや家電まで、あらゆる物があらゆる値段で揃う、買い物天国の街。 

 

摩天楼やヨットハーバーを見渡す高級会員制クラブやホテルで楽しむ、静かなアフタヌーンティー。

かと思えば、ワイワイガチャガチャと食器の音を立てながら家族や友人と喋って食べて笑って、また食べて喋って笑う、そんな喧騒の飲茶。 そして相席はお決まりの大衆食堂、茶餐廳。

香港について、長いこと英国の植民地で、いつだったか中国に返還されたということは知ってるけれど、そんなことより、アワビやフカヒレなどの高級珍味、高級中国茶葉、美味しいチキンやダックの丸焼きが手に入る、そちらの方が面白い、グルメ天国の街。

 

そんな、何でもアリの混沌とした香港。 いつもエネルギッシュで、底抜けに明るくて温かくて華やか。

そんな香港を見るたびに、この街が辿ってきた稀有な運命に想いを馳せ、いつのまにかここに寄り添う自分に気がつくのです。

 

香港を表現するのに「歴史に翻弄されてきた街」という言い方をよく見かけます。

確かに史実の表面だけを見ると翻弄されているように見えるのかもしれませんが、私はこれには違和感があり、そうは思っていません。  この街は、そしてこの街に住む人たちは、何かに翻弄されるほどヤワではないと思うのです。

 

つまるところ香港は、香港人は「何が最も大切なことか、本能的に知っている」人達なのではないか。 そこに尽きるのではないか、と。

香港は、これといった産業を持たない小さな漁港が点在するに過ぎない、大小の島々からなる中国の一地方でした。

そんな香港の波乱の歴史は、アヘン戦争後の南京条約で香港島を英国に割譲されるところから始まりました。

 

英国が1842年に香港の植民地統治を開始してこの地にやって来たのは、アヘン貿易で富を築き、さらに東インド会社の利権を求める商人達。

このアヘン貿易商人達は、英国本国では上流階級やエリート層などではないものの、アヘン貿易によって築いた巨額の資本により、植民地政府である香港政庁との強固な関係を背景に、各種権益を独占するようにして香港経済を支配していきました。 

 

そんな中、いち早く香港の独占的権益構築に乗り出していたのが、スコットランド出身のユダヤ人、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソン。

彼らは香港上海銀行 (HSBC) に特権を与えるなどしてHSBCを事実上の香港中央銀行にし、のちのジャーディン・マセソン・グループ傘下の最大手不動産管理会社ホンコン・ランドが、香港島中心部セントラルの物件を多数所有するように、英系資本による香港経済の権益独占は、長いこと続いていきました。

 

植民地経済とは、少々乱暴な言い方をすればすなわち、「支配層の居心地さえ良ければそれでよし」というもの。

ですが、英系資本が権益を独占し続ける中、その隙間にたくましく、したたかに入り込んで行ったのが、商売センスに長けた香港人による華人資本でした。

 

次回は、華人資本と彼らのエネルギーから見える香港に、スポットライトを当ててみたいと思います

JUN

 

香港STYLE Vol.49 チョコとクリスマスと私の時間 (2018.12.8)

香港からこんにちは

 

12月に入り、街はすっかりクリスマスムードの香港。 

 

ラグジュアリーブランドが集まる 中環 (Central) のショッピングモールやブティックのショーウィンドウは、この時期、クリスマスデコレーションでより一層華やかになります。 

 

香港は、様々な文化や宗教バックグラウンドを持つ人達が住む多民族国際都市ですので、クリスマスに関しても、宗教的、伝統的な趣旨は、欧米ほど濃くはありません。 

楽しくて華やかでハッピーで、気分が上がればそれでよし

 

香港キッズにとってクリスマスは、紅白のジャンパーを着た白い顎髭の大柄な ”鬼佬“ お爺さんが「Ho Ho Ho!」と言いながらプレゼントを持ってきてくれる、楽しいイベント

拝金主義的な側面も合わせ持つ香港のマテリアル社会で、タフ&スポイルに育つ香港キッズが、思う存分甘やかしてもらえる、夢のような時間がクリスマスなのです

 

各ショッピングモール、各ブティックごとに趣向を凝らしたデコレーションでクリスマスの雰囲気を盛り上げますが、中でも毎年大掛かりなデコレーションで、見る人を楽しませてくれるのが、中環 (Central) の 置地廣場 (The Landmark) 地上階、アトリウムに設置されるクリスマスデコレーション。

デコレーションというよりは、もうほとんど「アトラクション」のような大掛かりなサイズで、ランドマーク・ビルの4階分吹き抜けの屋内コートヤードのスペースを大胆に使って設置されます。

昨年2017年のクリスマスは「It’s a small world」でした。

時間になると、世界中の子供達の人形がアトラクションの中から出てきて、音楽に合わせて動く仕掛けが愛らしく、多くの人々を魅了しました。

 

 

そして今年、ランドマークに突如現れたのは、、、

 

「Monster’s Chocolate & Sweets Factory」

 

チョコレートとイタズラが大〜好きな、ポップなモンスター達。 個性豊かな愛らしい彼らが美味しいチョコを一生懸命作る工場で、このアトラクションを訪れる子供達は皆大喜び

 

工場の中には、様々なモンスター達がそれぞれの部署で (?) 働いています。

生真面目モンスターも、、

 

すっとぼけモンスターも、、

 

姉御肌の姐さんモンスターも、、、

 

できたてチョコを隠れて頬張る、いたずらっ子モンスターも、、、

 

上下に動くチョコレート箱ピックアップ用クレーンで遊ぶ、お茶目くんモンスターも、、

 

みーんな気のいい愉快な仲間たちで、美味しいチョコレートが大好きなモンスター達です

 

 

そんなポップでやんちゃで可愛い空間とは対照的に、大人にとっても、シックで落ち着いたクリスマスの空間が、香港にはあります。 

 

例えば、名門マンダリン・オリエンタルホテル。

これぞ East meets West。 最高に居心地のいい、東西様式の見事な融合です。

 

グリーンとゴールドだけで、こんなにエレガントでシックなツリーができるのも、香港スタイルの香港マジックなのかもしれません。

 

そんな成熟した空間で過ごすクリスマスシーズンの午後のひとときは、また普段と違ってとてもラグジュアリー。

 

それは、マテリアルからは得られない時間と空間と精神の贅沢、とでも言いましょうか。

 

 

その充実度は、物質を得た時のような強烈なインパクトのある瞬時の満足感はないけれど、感性と知性にじんわりと染み渡り、時間が経つにつれそれはさらに深く浸透していき、決して色褪せない人生の記憶になるような気がするのです。

 

JUN 

 

 

香港STYLE Vol.43 ポジティブファッションが世界を変える⓶ タイムレスな赤 (2018.10.27)

香港からこんにちは     タイムレス。 もしかしたら、この言葉ほど香港の一般的なイメージとは違うものもないかもしれません。 また、この言葉ほどイギリスのイメージを表現するのにぴったりな言葉もないでし…

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