月別アーカイブ: 2019年3月

香港STYLE Vol.65 バッグとジュエリーのおしゃれな関係 (2019.03.30)

香港からこんにちは

コンクリートジャングルの近代都市、というイメージの強い香港。

海と中国本土との国境に挟まれた香港は、拡大し続ける貿易のため港の規模は常に拡張、増え続ける人口を収容するために多くの建物が高層化、その高さの平均は世界最高レベルに達しています。

 

ところが、意外にも摩天楼のすぐそばには、緑豊かな自然が多く存在しているのも、香港。

 

早朝は、窓の外から聞こえてくる南国らしい鳥のさえずりで目が覚めることもあり、市内中心部から車を10分も走らせればそこは、南シナ海につながる翡翠色の海が、目の前に広がります。

そんな香港だからでしょうか。 金色や赤といった中華圏でのおめでたい色の他にも、自然をイメージさせる「綠」という色に、香港の人達は何かこう、特別な思い入れがあるようにも思います。

全ての幸運のお守りとされ、風水では豊かな創造性と知性を授ける色とも言われる神秘的な翡翠を、彼らが好んで身につけるのも、そんなところもちょっぴり関係があるのかもしれませんね。

二重に幸運が訪れる意味合いもある、ダブルフープデザインの翡翠イヤリング。

 

さてさて、女性の皆様は、ハンドバッグとジュエリー・・・と聞いて、思わずウキウキしない方なんて、いるでしょうか?

いつの時代も、女性も男性もそのどちらにも属さない人も、皆を笑顔にし幸福にしてくれる、私たちのベストフレンド。

そんなお気に入りのハンドバッグやジュエリーは、時に、大きな決断を前に躊躇しそうになる背中を押してくれたり、思い出と共に頑張ったあの頃を懐かしんだり、本当に価値あるもののプライスレスな大切さを教えてくれる。。。

マテリアルなのにマテリアル以上の、不思議な存在だと思います。

『運は裏切るけれど、努力とハンドバッグとジュエリーは裏切らないの』という、どこかで聞いた名言もなんだか笑っちゃうくらい、香港の街にはぴったりです。

そんな、ハンドバッグとジュエリーという特別な2つのアイテムが、完璧にペアリングされた、夢のようなコラボレーションが、先日3月27日に、香港で発表されました。

「FENDI 」の Peekaboo と「CARNET」の デザイナー、Michelle Ong 氏のコラボレーションです。

先日急逝したカール・ラガーフェルド氏のクリエイションにより、ファッション界で多くの伝説を作ってきた、イタリアの高級ブランド「FENDI」。 その FENDI で2008年に誕生して以来、愛され続けているアイコニックなハンドバッグに「Peekaboo」があります。

 

Peek-a-boo! そう、ピーカブーというのは、英語でまさに「いないいないばあ!」のこと。

バッグの内側と外側で全く異なる素材や色をデザインにすることで、バッグを開けた時、想像もしなかったハッピーな衝撃を与えてくれる、そんなバッグの作りが、「いないいないばあ!」と子どもに向けて顔を隠して手を開け、面白い顔を出して笑わせる遊び心に似ていることから、ユーモアを持って名付けられた、エレガントな名品バッグです。

そんな FENDI の Peekaboo を、パリの幻のジュエラー JAR のアジア版とも言われる、香港の高級ジュエラー「Carnet」のオーナーデザイナー、Michelle Ong 氏が Peekaboo を特別にデザインし、さらにCarnet のジュエリーを Peekaboo  に装飾したバッグを発表しました。

バッグのボディは、香港の人達が好む翡翠カラー。 Michelle 自身、翡翠にはポジティブなエネルギーと限りない豊かな喜びがあると言います。

一口に「綠」といっても、明るめの強い色を選ぶのが、やはり香港スタイルです。

同じくグリーン好きの英国人や英国では、絶対に選ばないタイプの色調ですね。

 

自身のデザインの Peekaboo を紹介する、ジュエリーデザイナー、Michelle Ong 氏。

ハンドルや淵のパイピングはブラックで締めて、全体はグリーンなのに、とてもモードで現代的。

それでいてどことなくクラッシックで品があるののは、Peekaboo が永遠のデザインであるというだけでなく、ハンドルと同じく黒で描かれた、アルハンブラと扇と格子の戸を模した組み合わせの幾何学的なデザインが、アジアならではの伝統的なものであるから。 

 

東洋の神秘ともいえる独特のオリエンタルデザインは、古くから欧米人が憧れてきたものでした。 ヨーロッパのデザイナーやブランドが、多くのインスピレーションを受けていますよね。

代表的なもので、ヴァンクリーフ&アペル社のアルハンブラ・シリーズや、カルティエ社のヒンドゥー・シリーズなどでしょう。

 

そしてハンドバッグのセンターに、Michelle 自身デザインのルビーとダイヤモンドを施したアンティーク調の龍が、魔法のように私たちを惹きつけます。

日本でも大変有名な香港の俳優 Tony Leung の太太 (広東語でMrsのこと) で、自身も大女優の Carina Lau も、Michelle Ong 氏がデザインするジュエリーは大ファンなのだそうです。

 

ハンドバッグというこの小さなスペースにおいても、東洋と西洋が出会い、影響し合い神秘的な世界を作り出していく、まさに香港という街のようなMichelle Ong 氏と FENDI のコラボレーション。

 

「美しさはパワー」と言い切るかのように、美しさにも知性にも生涯をかけて磨きをかける香港女性たち。 野心家で毅然とした強い眼差しの彼女達にぴったりの、最高にラグジュアリーなハンドバッグの誕生でした

 

JUN 

 

香港STYLE Vol.64 言語とアイデンティティ (2019.03.23)

香港からこんにちは

日本中が、一年で最も優しい桜色に染まる季節の到来ですね。 東京でも、29日頃には桜が満開を迎えるそうで、これから全国各地で美しい日本の春が楽しめますね。

 

よく言われることですが、日本ほど四季の自然が豊かでバランスのよい国は、世界中どこを探してもない、、、本当にそう思います。

春夏秋冬、季節それぞれが固有な美しさを持ち、徐々に変化してゆくその過程すらも美しい。

 

同じ景色が、ある時は心を打つような悠大さ、神々しさを放ち、ある時は心安らぐような優しさ、繊細さで癒し、またある時は、心を清く正すような、言葉なき姿で語りかけてくる、凛とした日本の自然。

 

媚びず、奢らず、一途に歩みを止めない日本の四季。

世界を見た時、日本が日本たる所以、日本人が日本人たる所以は、その貴重なまでに豊かな日本の自然の移ろいにもきっと起因しているのかなぁとも思うのです。 なぜなら、自然はその土地に生きる人々の思考回路と密接な関係があるから。 

たとえば、イギリス。

 

EU諸国の面々のウンザリに同情さえ覚える、あの BREXIT 狂騒でのイギリス議会の経過や一連の対応は、まことにあの国らしいというか何というか。。。

日本のような四季がなく、一季に0.5季を加えた程度の、バラエティ豊かとは言い難いイギリスの気候風土をよく知っていれば、あのいつまでも決まらない永遠に続くかにも見える騒動も何ら不思議はなく、イギリス生活が長くイギリスに家族もいる私などには、あの感覚は、ここ香港にいても手に取るように分かり、まぁそう来るでしょうねぇ、お疲れ様、、、と妙に納得がいってしまっているわけなのです 

もっとも、それが離脱合意をズルズルと見苦しいほどに引き延ばしていい理由には、全くなりませんが

とにかく、あのイギリスでさえ気候が人々の思考に少なからず影響を与え、「世界一プライドが高く、世界一長期戦に強く、世界一頑固者で、世界一皮肉屋で、世界一屁理屈屋」という国民性が出来上がっているのは間違いありませんね。 皮肉ではありません、 愛を込めて

 

 

 

では、思考そのものは何によってできるのでしょうか。 

それが『言語』だと私は思っています。  

言語が思考を作り、しいては思考の癖を作り、思考の癖は習慣となり、それが社会、国家、民族になる。

全て元を辿れば『言語』に通じる、というか、そこに行き着く、、、と私はそう思っています。

 

 

 

 

 

そうなってくると、この全く違う『言語』(=思考) を持つ者同士が、お互いに少しでも理解するために必要になってくるのが、当然ですが、共通の言語である『英語』。

日本人の英語の必要性は、日本国内でもとっくに昔から言われていることですが、私が長いこと日本を外から見ていて思うのは、日本人の英語の必要性、などという甘いレベルではなく、もはや差し迫った緊急性

世界共通言語である英語力は、その国の経済力、外交力と同義語です。

 

 

 

 

誤解を恐れずに言えば、私は個人的には、日本の公立私立関係なく、というより、公立の学校こそ、小学校の一年生から、算数と理科 (高学年になると、数学と、化学・物理学・生物学のサイエンス3種) は、少なくとも全て英語で授業をするべきであり、彼らが実際に使える社会人となるのに時間差があることを考えと、もうすでにしているべきと思っています。

実は、香港のインターナショナルスクールでない、香港の地元の学校がそうで、むしろそれ以上。  中国語と中国史、中国文学以外の教科は、全て英語で授業が行われています。 

 

香港は、もともと日本以上にグローバル化した近代社会なうえに、一見適当に見える彼らは、何事もやるとなったら、ある意味、日本人が追求する完璧さ以上に抜かりなく徹底します。

彼ら香港人が、世界的にもフットワークが軽く、国をまたいで何かをすることに抵抗がないのも、まず彼らの高い英語力、それに伴い、走りながら考える行動力、間違いを許す社会の寛容さ、それらにつきるのです。  

私の香港人の親しい友人も世界中に親戚一族が散らばっています。  先進国であればどの国に行っても、必ずどこかに血の繋がった親戚がいる。 ある意味、これほど心強いことがあるでしょうか。

頭の柔らかい幼少期から、2言語、3言語を叩き込まれた香港の子供達が、10代になり英語、母国語、人によってはさらにもう一言語を流暢に操り、欧米の寄宿舎学校や大学にすんなりと、少なくとも言葉の問題は全く心配することなく入る。

そしてさらに、異なる環境で世界中の友人知人を相手に対等に生きる力を付け、ある者はそのまま欧米で就職、ある者は国に帰り有力な経済や外交の牽引力となる。

 

ここなんです。 中華圏経済や外交の強みは。優秀層の徹底度が、日本の優秀層候補のそれとは大違い。

ちまちまと日本国内のみでしか通用しない同調圧力満載の受験競争に明け暮れ、そ一度の間違いも許されぬ、はっきり言ってアプローチのポイントが的外れ。

日本語力が確立する前に英語を始めることは言語の混乱リスクを招くだの、幼児英語教育は日本人としてのアイデンティティ・クライシスになるだの、英語を話すことよりは英語で何を話すかが大事かだの、へんちくりんな儒教をベースに頭の凝り固まった幼児教育専門家の意見など、私にしてみれば全く聞く価値のない、むしろ日本を滅ぼす無益有害な意見

幼児期から複数言語を叩き込まれる香港人が、中華系民族としてのアイデンティティを失っているでしょうか? 

 

 

確かに、英語が全てではありません。 しかしながら、英語ができなかったら、スタート地点に立つことすらもできないわけです。 それは紛れもない事実。

ツールである言語とはそんなものでしょう。

そして、国がなくなるような事態にでもなれば、桜が散るようにあっという間に変化するであろう言語に頼るアイデンティティ意識などというものには、あまり強く固執しない方が、実は幸せなのかもしれない。 そんな気もします。

 

 

桜を思いながら『言語』の意味を考える、ある香港の春の日でした

 

JUN

 

香港STYLE Vol.63 手に秘められたストーリー (2019.03.16)

香港からこんにちは

 

日々の生活で、インスピレーションを与えてくれるもの、私の場合それは、『手』です。

 

長らくクラッシック音楽の世界でピアノを専門としてきたこともあってか、『手』に対する愛着は人一倍強いかもしれません。

 

ピアニストにとって、手や指は命ともいえるもの。

表現者として、ピアニストの全ての感覚と神経が集まる場所、それが手であり、さらに言えば手首と指先。 

 

弦楽器であり打楽器でもある、グランドピアノの鍵盤に直接触れる指先を通して、鉄骨に保持された弦を叩くハンマー、ピアノを身体の一部として感じる感覚のコントロール、そして響板を響かせ、あらゆる音色を創り出す。 それがピアニストの指先なのです。

また、一見優雅に座って弾いているだけのように見えるかもしれないピアニストですが、演奏を運動量にしたら実は相当なもの。

ピアノ演奏とは、脚から肩から背中から、、、と、全身の神経と筋肉を使うスポーツ的要素も多分にあり、特にラフマニノフやショスタコーヴィッチなど、ロシアもののピアノ協奏曲など大曲をステージで弾き上げるのは、心身ともに大きなエネルギーが要求されるものです。

 

と、予期せず話が逸れましたが。。。

 

日々、ふと目にする自分の手。 毎日使わないことはない、自分の手。

でもよく見ると、この太い関節と骨ばった指。 親指と小指が左右180度に開く、伸びた水掻きと幅広い手の甲。 大きなハーモニーを支えるのに必須な、肉厚の手のひら。。。

 

するっと細長い指や、薄く華奢な手の甲などとはまるで正反対ですが、ピアニスト特有の骨太の自分のこの手、この指。 結構気に入っています。

 

 

また、自分の手と同じくらい、人の手にも興味がある私は、初対面でもそうでなくても、まず相手の手に自然と目がいってしまうという。。。 長くピアニストだったゆえの、一種の職業病みたいなものでしょうか。

でも、一般的に言われる手の美醜や造形への興味ではなく、手そのものが語りかけてくる、その人の人生観、価値観、そして生きてきたストーリーへの深い興味なのです。

 

くるくるとよく動く、大袈裟で大胆でジェスチャー豊かな、イタリア人の友人ヴァイオリニストの、天才肌でドラマチックな手。

 

理工系博士号を持つ、学生時代からの大親友イギリス人。 知性と品位の塊のような彼が、パブでパイントグラスを静かに持つ、思慮深い穏やかな紳士の手。

 

クリスティーズ・オークション会場で落札直前、入札者の有無が最終確認されるあの一瞬の静寂。 まさに会場の時を止めてしまう、名物オークショニアの、アートとビジネスを融合させる魔法の手。

 

京都の芸妓さんが必ず着物の袖で隠す、手。 「秘すれば花」。

 

子供の頃、高熱が出た時、中耳炎が痛くて眠れなかった時、夜通し寝ずに氷枕を作り続けて看病してくれた、世界の全てを包み込む母の温かい手。

そして、それを自分がしてあげる番になった時、子孫を繋いでいく命のリレーを本当の意味で実感し自覚し、私を母にさせてくれた、我が子の小さく温かい手。

 

 

 

香港島セントラル (中環) にあるマンダリン・オリエンタルホテル内の「カフェ・コゼット」で、平日の同じ時間帯になぜかよく見かける、あるご高齢のマダム。  

一目で『琅玕』(ろうかん) と分かる、最高級翡翠のネックレスを身につけた彼女の、皺だらけで骨ばった指には、10キャラットはあろうかというダイヤモンドリング。 

ゆっくりと歩きながらも背筋はシャンと伸び、杖を持つ皺だらけ の彼女の手が、私には何よりも、そしてそこにいる若いどんな誰よりも、エレガントで、敵わないほど美しく、高貴なものに見えるのです。

裕な精神で裕な時間を丁寧に積み重ねてきた人のみが持ち得る、歳を重ねたマダムの圧倒的な手のオーラ。

 

本物の美とは、知性と気品と生き様が備わらなければ無価値であると、彼女の佇まいと杖を持つ美しい手から教えられたような気がします。

JUN

 

香港STYLE Vol.62 揺らめきのオーラ (2019.03.09)

香港からこんにちは

香港の春は、心浮き立つ元気なイースターカラー🧡💛💚

クラッシックで品のある、こんな素敵なビタミンカラーは、たとえばメンデルスゾーンのシンフォニー4番「イタリア」の、軽やかなフレーズがイメージ。 モダンだけでない、アジアだけでもないこんなセンスもまた、香港スタイルです。

 

さて、春が近づいてくると、太陽の光も眩しくグリーンは生き生きとし、そんな時に手に取って身につけたくなるのは、軽やかに揺れるジュエリーではないでしょうか。

中でも、動くたびにきらきらと反射するシャンデリアやタッセルタイプのイヤリングは、女性ならではの楽しめるデザイン。

 

ロンドンでも香港でもパリでも、時に弾けるような、時に母性溢れるマダム達の笑顔の横に揺れていたのは、そういえば、そんな風に揺れるタイプのエレガントなイヤリングでした。

 

耳を飾る、耳を彩る、というセンス。

 

ネックレスの原型は、原始時代では狩りに出る男性のお守りとして、猛獣の牙をひもに通したものであり、中世ヨーロッパでは、騎士達が闘いに出る際にお守りとして身につけたガーネットの首飾りであったり、史実的にも、男性の身を守るお守りとして使われていました。

それに対し、正装で全身に装飾品をつけるインドのマハラジャや、オスマントルコのスルタンはまた別としても、イヤリング「耳を華やかに飾る」という行為は、女性だからこそできるものというイメージがあるかもしれません。

 

たとえば、、、

春風になびく髪の隙間からきらきらとのぞく、揺れるカルセドニーとイエローダイヤモンドの華やかなピアス。

 

 

きれいにアップされたグレーのまとめ髪と惹き合うように耳元で揺れる、エメラルドとダイヤモンドのパンテール・イヤリング。

 

 

色石は使わず、全てダイヤモンドという潔さに対し、動くたびにきらきらと揺れる無数のダイヤモンドが最高にフェミニンでエレガントな、タッセル・デザインのピアス。

 

 

欧米女性が密かに憧れ嫉妬する、東アジア人の潤いの黒髪と絹のような肌にしっとりと馴染む、翡翠特有の翠色が黒い瞳に映える、モダンでクラッシックな翡翠ピアス。

 

 

知性を感じさせるデコルテには敢えて何もつけず、ポンパドールの髪の耳元でゴージャスな存在間を放つ宝石の女王、ダイヤモンド、ブルーサファイア、ルビーのシャンデリア・ピアス。

 

 

こんな風に左右違う色石をエレガントに着けた女性の横顔は、ボッティチェッリの絵画プリマヴェーラのヴィーナスのように、きっとこの世の何よりも、誰よりも美しいに違いないはず。

 

 

内包物を多く含むエメラルドが持つ深みのある美しい最高級グリーンは、人工では絶対に実現できないと言われる、コロンビア、ムゾー鉱山産のエメラルドピアス。

 

 


マーキスカットとペアシェイプカットに研磨された揺れるダイヤモンドが、音符 ♬ のようにも見える、雫のダイヤモンドピアス。

媚びない冷たさを湛えつつ、地球上の何ものにも屈しない強さを持つダイヤモンドは、私はピアノの音にもふとイメージが重なります。

このピアスのダイヤモンドが揺れるインスピレーションは、たとえば、プロコフィエフのピアノコンチェルト第3番、でしょうか。

征服されない強さとオリエンタルなハーモニーを併せ持つ神秘的で魅力的なこの楽曲が、46億年前のダイヤモンド誕生の神秘とも重なります。

揺れるダイヤモンドを身につけた瞬間から感じる、華やぐ光のオーラ。 耳元で豊潤な煌きが揺れ動くたびに、このピアスをつける女性の存在そのものが、ドラマチックに、毅然と、そしてミステリアスに輝きはじめるのでしょう。

 

春の香港で出会う、耳元で揺らめくジュエリーとクラッシック音楽。

穏やかな海風に揺れる木々の緑と、その間に見え隠れするコロニアル様式の白亜の邸宅。

 

そんな、近所でいつも見る何気ない光景が、揺れるジュエリーとクラッシック音楽にぴったり重なった時、それは光と音楽の幸福なオーラで包まれる特別な時間になるのです。

 

JUN

 

香港STYLE Vol.61 Editions de Parfums (2019.03.02)

香港からこんにちは

 

日常の心を豊かに満たす、自分だけの小さな幸せエッセンス。 皆さまは、どんなものをお持ちですか?

 

たとえば、香り。

週末にゆったりとした気持ちで丁寧に淹れる、香ばしいコーヒーの香りに幸せを感じたり、

祖母から母、私、そしていずれは娘、そのまた娘へ。。。 家族の歴史が、想いと共に受け継がれていくジュエリーが詰まった宝石箱を開ける時にふと香る、思い出の香りだったり、

春色に誘われて買ったブーケの、光と透明感に溢れる優雅なローズの香りだったり、、、

また、自分だけの ”仕立てのいい香り“ を肌に馴染ませ、服の奥からパーソナルに香らせる、お気に入りパルファムだったり。。。

 

 

 

『 EDITIONS DE PARFUMS 』

– 香りの出版社 – 

 

そんなコンセプトを掲げる、ひときわラグジュアリーなパルファム・ブランドをご存知ですか?

自らを “香りの編集者” と位置づける、Frédéric Malle (フレデリック・マル) 氏の創設による、知る人ぞ知る真のラグジュアリー・パルファム・コレクション。

 

『 FREDERIC MALLE 』

 

パルファン・クリスチャン・ディオールの創設者を祖父に持ち、母もその仕事を継承。 叔父はフランス映画監督の巨匠ルイ・マルという、幼少期から、香りと芸術に囲まれて育ったフレデリック・マル氏。 

 

真の豊かさと美しさを讃えるラグジュアリーなパルファムを、現代に蘇らせたいと考えたのが、構想の始まりだったそうです。

 

私の仕事とは、、、と、マル氏は語ります。 

「フレグランス業界で世界最高峰の調香師達に、完全に自由な環境のもとで創造し、自身を表現してもらうよう導くことです。 彼らと私の関係は、作家と編集者の関係に似ています。」

 

1990年頃からのパルファムは、まるで価値が失われたようだったと、マル氏は言います。  

万人を満足させるためようなワンパターンのフレグランスばかりが作られ、ビッグブランドになればなるほど、マーケティング部門はイメージを最重視。 

華々しいボトルやパッケージの開発、フレグランスのローンチイベントの企画や有名人を使った大々的な広告などに、より多くの関心が注がれ、残念なことに、パルファムのクオリティそのものは軽視されていました。

 

ビッグブランドのマーケティング担当者は、香水のクリエイターである調香師に、いわゆる “売れ筋” や同じようなものばかり作ることを求め、真のパルファム・クリエイションは失われていたのです。

それはまるで、F1ドライバーに路線バスの運転をさせるようなものだったのかもしれませんね。

 

パルファムを再び主役に、その価値を取り戻そうとフレデリック・マル氏は、世界でトップクラスのマスター級調香師12人にコンタクトを取ります。

そして彼は、原料にかかる予算や期限の枠を一切外し、彼ら調香師に完全なる創造の自由を約束したのです。

これは、香港で唯一、パルファム・フレデリック・マルを扱う高級セレクトショップ、JOYCEブティック内にある、12人の調香師たちのポートレート。

 

香り、パルファムとしての完成度を追求することのみを条件とした、マル氏と調香師の密なセッションは長期間に及び、実に700回もの試作を経て誕生した伝説的なパルファムもあるそうです。 

ボトルは、最もベーシックでシンプルなものを、マル氏がデザイン。 

唯一のこだわりは、パルファムのクオリティのみ。 マーケティングは一切なし。 大規模なローンチイベントもなし。

各ビッグブランドが、フレグランスのイメージを飾り立てるのにかける予算を、『FREDERIC MALLE』は、ボトルの中のパルファムそのものに投資したのです。

一流の調香師たちが、愛と創造力の全てを注ぎ、思いのままに綴る香りのストーリーは、あまりに美しくあまりに深く、そして叙情的。

 

パルファム『FREDERIC MALLE』コレクションの数々は、他のブランドのものがどれも子供っぽくさえ思えてしまうほど、パルファムの洗練、成熟、品格、そして知性の極みといえると思います。

今までどんなトップブランドのパルファムでも、香水のクリエイターである調香師の名前が表に出ることは、実はありませんでした。 

 

『FREDERIC MALLE』は、その芸術作品ともいえるパルファムを作る調香師たちを、初めて表舞台に押し出し、彼らの名前をボトルに記すことで、“パルファムの作者” として最高の賞賛とリスペクトを表したのです。

本の装丁を模したかのようなシンプルなパッケージは、フレデリック・マル氏が自ら言う ”香りの出版社“ のように、まさにハードカバーの美しい本のよう。

ストーリーを持つタイトルの下には、作家名のように調香師の名が記され、至高の香りを揃えたライブラリーのよう。

 

 

美意識は表現であり、感性。 感性は知性。 そして知性は、真に成熟した文化が持つ、人間に与えられた最も尊く価値のあるものなのではないかと、FREDERIC MALLE』のパルファムを纏うたびに、思うのです。

JUN