年別アーカイブ: 2018年

香港STYLE Vol.52 アジアの巨龍 (2018.12.29)

香港からこんにちは

 

 

「商人治港」

香港を語る時、これほど街の本質を言い当てている表現はないような気がします。

 

紅茶貿易とは表向き、英系商社「東インド会社」による中国へのアヘン貿易に端を発したアヘン戦争。 からの香港割譲、そして植民地統治。

支配層が全てという植民地経済のもと、長い間香港で、莫大な権益独占という蜜を吸い続けてきたのは、当然のごとく英系資本でした。

 

この金城鉄壁のような植民地経済構造の力関係に、地殻変動が起こり始めたのが1960年代。

それからほぼ一世代で、香港を世界の巨大金融都市へと変貌させる核となったのが、のちの香港財閥となる地場系の華人資本でした。

 

代表的なものが、長江實業 (Cheung Kong Holdings)、新鴻基地產 (Sun Hung Kai Properties)、恒基兆業 (Henderson Land)、新世界発展 (New World Development) の四財閥。

 

今では Forbes世界華人長者番付でも、常にトップ10が香港財閥と関連の香港企業に占められており、彼らの保有資産は、小国の国家予算にも匹敵するほどとも言われています。

 

 

香港大財閥のルーツとなった華人資本のスタートは、満州事変や日中戦争の戦火を避け、また第二次世界大戦後の中国共産化を嫌い、英国の統治領だった香港に逃げてきた人達による、いずれにしても小さな街の商売でした。

 

香港政府のトップである行政長官よりも重要視され、中国中央政府の首脳から「たとえ短い時間でも構わない、あなたと是非ともお会いしたい」と面会を熱望され、また、中央政府主催の式典では党幹部らが並ぶひな壇に、財界人としては異例の席が設けられるほどの、巨大金融市場香港だけでなく中央政府とも強いパイプを持ち、アジア経済に君臨し続けてきた華人資本の人物がいます。

 

アジア最大のコングロマリット「長江和記實業 (Cheung Kong Hutchison Holdings Limited) 」の創業者兼会長、

李嘉誠 (Li Ka Shing) 氏

(左。 右は長男の Victor  Li氏)

 

今年の3月、自身の90歳の誕生日目前の5月で、長江實業グループ会長職を引退することを表明した李嘉誠氏。  

アジア経済だけでなく世界からも注目されたこの引退表明は、彼の引退会見を見ていても、何かこう、時代の節目を感じるような、、、と同時に、香港と香港人のパワーを改めて感じた、不思議な気持ちになりました。

「私は13歳からずっと、休まず働いてきました。 少し長すぎたかもしれませんね。」と冗談交じりに記者に話す李嘉誠氏は、清々しささえあれど未練や心残りなど微塵も見られない、自らが自分はまっすぐな性格と評するような、ここぞのチャンスは必ず掴んできた人特有の、潔いすっきりとした引退会見でした。

 

氏の後任は、帝王学を受けた長男の李沢鉅 (Victor Li) 氏が、長江實業と Hutchison Whampoa グループ全てを管理する会長職を引き継ぎ、次男の李沢楷 (Richard Li) 氏は、それ以外の新しいグループ内ビジネスを100%保有するという形で落ち着いた、李嘉誠氏の会長職引退。

 

話は変わりますが、私が香港に住んでいた幼少期、両親が最も仲良くして今でも変わらぬ交友が続いている、香港人の親友がいます。

私のことも生まれた時から知っており、イギリス在住中にも何かにつけ親身になってくれたりと、聡明で美人な彼女は、子供の頃から私にとって尊敬する叔母さまのような、大きな存在でした。

そして私が密かに、彼女こそが「真の香港マダム」と、今でも憧れるている存在です。

 

そんな彼女が若かりし頃、“30歳前にして一生働かずとも家族を養えるほどに成功した” アジア一の大財閥の総裁、李嘉誠氏の私設秘書であり、それが当時の華人社会でおよそ何を意味するものなのか、ハタチそこそこの小娘の私などには、知る由もありませんでした。

 

しかし、彼女の一瞬哀しげな影のある聡明さと知性と気遣いと、どんな大女優をも圧倒する美しさとオーラに、なにか、小娘の私などが気軽に踏み込んではいけないような大人の世界を彼女に感じていたのも確かで、のちに、実は彼女は、李嘉誠氏に熱烈な寵愛を受けていた特別な女性だったと両親から聞いて、変な話ですが、ホッと安堵するような不思議な感覚になったのを覚えています。

 

 

 

香港の激動の歴史とも重なる象徴的存在でありアジアの巨龍、李嘉誠氏の人物史と、彼女以上の香港マダムはいないだろうと明言できるほど、私の尊敬と憧れの対象であり続ける彼女の波乱万丈の人生。

この雨霖鈴曲なまでの秘められた接点がまた、私の中で香港という街の厚みとなり、特別な場所になっているような気がするのです

 

皆様、今年も大変お世話になりました。 2019年も、健康で実りある素晴らしい年になりますように!

どうぞ良いお年をお迎えください🎍🥂

 

 

JUN

 

香港STYLE Vol.51 英系資本と華人資本 (2018.12.22)

香港からこんにちは

 

アヘン戦争終結後の南京条約により、香港島が英国に割譲され、1842年に始まった英国の植民地統治。

150年以上に及ぶ自由放任、自由競争主義を核とした英国流の統治は、香港に目覚ましい発展をもたらしました。

水深など貿易港に最適な天然の良港、どこへ行くにも近い東アジアの中心という立地的な優位性、明朗快活で闊達、頭の回転が早い華南地区広東省の香港人資質。。。

 

あの英国が、それらを全く知らずにアヘン戦争で偶然香港を手に入れたわけがありません。 英国にしてみれば、香港は早くから狙った獲物だったはず。

現に、宗主国イギリス政府より任命された香港総督は歴代、英国君主の名代として大きな権限を持ち、政治的にも軍事的にも大変重要視されたポストだったといいます。 

そして香港が持つあらゆる可能性と好諸条件を見抜いていた英国は、それらを一体化させながら、自由放任主義と英国流の統治で、香港をアジア一の金融・貿易の中心地に作りあげていきました。

 

 

 

とはいえ、宗主国イギリスに対し従属国香港、という力関係であることには違いない、それが植民地統治であり、植民地経済。

英国人と香港人の利益が衝突するような場面では、香港側の意見は巧妙にあっさりと無視され、宗主国、支配層に利益がもたらされさえすればそれでよいという、英系資本の経済独占支配は続きました。

発券業務を含む金融、不動産、通信、電力、ガス、交通機関、教育、医療、道路や橋、トンネルなどのインフラや、各種公益事業においての権益など、香港経済は全英系資本により占められました。 この名残や影響は、現在の香港社会でも、あらゆる場面で見られます。 

 

日清戦争、2度の世界大戦、「暗黒の3年8ヶ月」と呼ばれる日本占領時代、朝鮮戦争、文化大革命、オイルショックなど、国際情勢の混乱に影響を受けた経済危機の波を幾度も乗り越え、その都度目覚ましい発展を遂げてきた香港。

その経済を根幹で支配していたのは英系資本でしたが、支えていたのは他でもない、地元香港人。

「もっと稼ぎたい」「もっと先に出たい」という旺盛な経済意欲、起業家精神意欲を持つ香港人の華人資本が、時代の流れと共に、支配層である植民地経済構造の隙間に入り込んでいったのです。
 
 
 

もともと香港には、小さいながら当地資本といえるものが、実はあるにはありました。

主に中国内地との交易や小中規模の食品加工業、プラスティックなどの軽工業、玩具から薬品まで製造業や小売り業、バス会社などがそれで、後に財閥化する華人資本のいくつかは、ここからスタートしているものもあります。

また、古くからある華人一族による、例えば、利 (Lee)家 (Opium King と呼ばれた利希慎 (Lee Hysan)  が、アヘン商人と組んだオピウム (アヘン) の取引きで巨額の財を成した父親からビジネスを受け継ぎ、のちに不動産や土地開発にも着手した、香港の名門華人ファミリー) の資本などもありました。

本当の意味で、華人資本が香港植民地経済構造の隙間へ入り込み、資本の力関係の変化が如実に見え始めたのが、1970年代。 戦後香港で勃興、1960〜70年代の不動産ブームで急成長した新興財閥が、英系資本を脅かすような形で発展、コングマリットとして巨大化していきました。

鴻基地產發展有限公司 (Sun Hung KaI Properties Limited)、新世界發展 (New World Development)、恒基兆業地產 (Henderson Land Development Company Limited)、そして、長江實業集團有限公司 (Cheung Kong Holdings Limited)。 

これら香港の4大財閥の事業は、不動産開発・投資、プロパティマネジメント、ホテル経営、証券投資、施設管理、インフラストラクチャー、通信、などに多岐に渡るもの。

 

それまでは、英系資本が植民地政府である香港政庁との強い関係を背景に、香港経済を独占支配していましたが、不動産進出を契機に勢いを増した華人資本が支配層に加わり、最終的には英系資本を華人資本が買収すると言う、力関係の逆転現象が起こっていきました。

香港の優れた投資環境に引き寄せられた金融、不動産、商業などのサービス分野が世界中から進出し、多国籍企業がアジア地域の統括本部を香港に置くなど、華人資本の台頭が、対中ビジネスだけでなく、結果的には世界中の多様な資本をますます香港に引き寄せるという流れになっていったのです。

 

次回は、ある華人財閥総裁の人生から見える、返還直前までの香港の軌跡をたどってみたいと思います

 

JUN

香港STYLE Vol.50 ある数字から想う香港 (2018.12.15)

香港からこんにちは

 

今年の1月からスタートした香港STYLEですが、気がつけばおかげ様で今回が50回。 不思議な魅力を持つ香港という街を、現地生活者の目線で、とりとめもなく紹介して参りました。

 

思えば、日本人両親のもと、英国統治下真っ只中の香港で生まれ幼少期を過ごし、英国の香港統治が終了し中国に返還された年に、英国へ移住。 十数年の英国生活を経て、また再び香港に住むことになった時、私の中の「日本・香港・英国」をつなぐ目に見えない糸の存在を、感じずにはいられませんでした。

淺水灣 (Repulse Bay) にて。

 

「50回」 50回目の香港STYLE。 

ハーフ・アニバーサリー的な小さな節目。 本当に取るに足らない、小さな小さな節目ですが、香港と関連付けた時、私の中で「50」という数字は、また別の大きな意味を持っていることに気がつきました。 

 

「50年」 50年の不変。 

自由放任資本主義で社会が成り立ってきた英国統治下の香港が、一党独裁社会主義の中国に引き渡されるという、宗主側としても例がない植民地支配終了の、建て前上は円満撤退。 しかし蓋を開ければ、あの英国が譲歩する形ともなった返還交渉に際して、当時の中国最高指導者・鄧小平が、不安がる香港民をなだめ、返還を平穏に移行させる便宜策として構想した、香港の「一国二制度」。 

それが香港で維持されるはずの年数が「50年」なのです。

 

香港STYLE「50回」という、ミジンコより小さい私的な節目に、「50年」という、香港にとって壮大かつ重要な意味合いを持つ年月を重ね合わせるのは、単に数字が同じとはいえ、身の程知らずというか大袈裟であることは充分承知しています。

それでも、200年住んでも簡単に語れるほどヤワな街ではない「香港」を、英国と香港にどっぷり浸かりながら、失うことはなかった香港への敬愛の意を込めて、この機会に何回かに分けて、少しだけお話ししてみたいと思います

 

改めて、、、香港。 

 

ほとんどの日本人にとって、現在の香港といえば「ショッピングとグルメ」、「気軽に行ける海外旅行先」といったイメージでしょうか。 

ヨーロッパの高級ブランド品や宝飾品、高級時計、骨董品、裏路地に並ぶ屋台の日用雑貨、合法非合法の露天で売られる激安ITものや家電まで、あらゆる物があらゆる値段で揃う、買い物天国の街。 

 

摩天楼やヨットハーバーを見渡す高級会員制クラブやホテルで楽しむ、静かなアフタヌーンティー。

かと思えば、ワイワイガチャガチャと食器の音を立てながら家族や友人と喋って食べて笑って、また食べて喋って笑う、そんな喧騒の飲茶。 そして相席はお決まりの大衆食堂、茶餐廳。

香港について、長いこと英国の植民地で、いつだったか中国に返還されたということは知ってるけれど、そんなことより、アワビやフカヒレなどの高級珍味、高級中国茶葉、美味しいチキンやダックの丸焼きが手に入る、そちらの方が面白い、グルメ天国の街。

 

そんな、何でもアリの混沌とした香港。 いつもエネルギッシュで、底抜けに明るくて温かくて華やか。

そんな香港を見るたびに、この街が辿ってきた稀有な運命に想いを馳せ、いつのまにかここに寄り添う自分に気がつくのです。

 

香港を表現するのに「歴史に翻弄されてきた街」という言い方をよく見かけます。

確かに史実の表面だけを見ると翻弄されているように見えるのかもしれませんが、私はこれには違和感があり、そうは思っていません。  この街は、そしてこの街に住む人たちは、何かに翻弄されるほどヤワではないと思うのです。

 

つまるところ香港は、香港人は「何が最も大切なことか、本能的に知っている」人達なのではないか。 そこに尽きるのではないか、と。

香港は、これといった産業を持たない小さな漁港が点在するに過ぎない、大小の島々からなる中国の一地方でした。

そんな香港の波乱の歴史は、アヘン戦争後の南京条約で香港島を英国に割譲されるところから始まりました。

 

英国が1842年に香港の植民地統治を開始してこの地にやって来たのは、アヘン貿易で富を築き、さらに東インド会社の利権を求める商人達。

このアヘン貿易商人達は、英国本国では上流階級やエリート層などではないものの、アヘン貿易によって築いた巨額の資本により、植民地政府である香港政庁との強固な関係を背景に、各種権益を独占するようにして香港経済を支配していきました。 

 

そんな中、いち早く香港の独占的権益構築に乗り出していたのが、スコットランド出身のユダヤ人、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソン。

彼らは香港上海銀行 (HSBC) に特権を与えるなどしてHSBCを事実上の香港中央銀行にし、のちのジャーディン・マセソン・グループ傘下の最大手不動産管理会社ホンコン・ランドが、香港島中心部セントラルの物件を多数所有するように、英系資本による香港経済の権益独占は、長いこと続いていきました。

 

植民地経済とは、少々乱暴な言い方をすればすなわち、「支配層の居心地さえ良ければそれでよし」というもの。

ですが、英系資本が権益を独占し続ける中、その隙間にたくましく、したたかに入り込んで行ったのが、商売センスに長けた香港人による華人資本でした。

 

次回は、華人資本と彼らのエネルギーから見える香港に、スポットライトを当ててみたいと思います

JUN

 

香港STYLE Vol.49 チョコとクリスマスと私の時間 (2018.12.8)

香港からこんにちは

 

12月に入り、街はすっかりクリスマスムードの香港。 

 

ラグジュアリーブランドが集まる 中環 (Central) のショッピングモールやブティックのショーウィンドウは、この時期、クリスマスデコレーションでより一層華やかになります。 

 

香港は、様々な文化や宗教バックグラウンドを持つ人達が住む多民族国際都市ですので、クリスマスに関しても、宗教的、伝統的な趣旨は、欧米ほど濃くはありません。 

楽しくて華やかでハッピーで、気分が上がればそれでよし

 

香港キッズにとってクリスマスは、紅白のジャンパーを着た白い顎髭の大柄な ”鬼佬“ お爺さんが「Ho Ho Ho!」と言いながらプレゼントを持ってきてくれる、楽しいイベント

拝金主義的な側面も合わせ持つ香港のマテリアル社会で、タフ&スポイルに育つ香港キッズが、思う存分甘やかしてもらえる、夢のような時間がクリスマスなのです

 

各ショッピングモール、各ブティックごとに趣向を凝らしたデコレーションでクリスマスの雰囲気を盛り上げますが、中でも毎年大掛かりなデコレーションで、見る人を楽しませてくれるのが、中環 (Central) の 置地廣場 (The Landmark) 地上階、アトリウムに設置されるクリスマスデコレーション。

デコレーションというよりは、もうほとんど「アトラクション」のような大掛かりなサイズで、ランドマーク・ビルの4階分吹き抜けの屋内コートヤードのスペースを大胆に使って設置されます。

昨年2017年のクリスマスは「It’s a small world」でした。

時間になると、世界中の子供達の人形がアトラクションの中から出てきて、音楽に合わせて動く仕掛けが愛らしく、多くの人々を魅了しました。

 

 

そして今年、ランドマークに突如現れたのは、、、

 

「Monster’s Chocolate & Sweets Factory」

 

チョコレートとイタズラが大〜好きな、ポップなモンスター達。 個性豊かな愛らしい彼らが美味しいチョコを一生懸命作る工場で、このアトラクションを訪れる子供達は皆大喜び

 

工場の中には、様々なモンスター達がそれぞれの部署で (?) 働いています。

生真面目モンスターも、、

 

すっとぼけモンスターも、、

 

姉御肌の姐さんモンスターも、、、

 

できたてチョコを隠れて頬張る、いたずらっ子モンスターも、、、

 

上下に動くチョコレート箱ピックアップ用クレーンで遊ぶ、お茶目くんモンスターも、、

 

みーんな気のいい愉快な仲間たちで、美味しいチョコレートが大好きなモンスター達です

 

 

そんなポップでやんちゃで可愛い空間とは対照的に、大人にとっても、シックで落ち着いたクリスマスの空間が、香港にはあります。 

 

例えば、名門マンダリン・オリエンタルホテル。

これぞ East meets West。 最高に居心地のいい、東西様式の見事な融合です。

 

グリーンとゴールドだけで、こんなにエレガントでシックなツリーができるのも、香港スタイルの香港マジックなのかもしれません。

 

そんな成熟した空間で過ごすクリスマスシーズンの午後のひとときは、また普段と違ってとてもラグジュアリー。

 

それは、マテリアルからは得られない時間と空間と精神の贅沢、とでも言いましょうか。

 

 

その充実度は、物質を得た時のような強烈なインパクトのある瞬時の満足感はないけれど、感性と知性にじんわりと染み渡り、時間が経つにつれそれはさらに深く浸透していき、決して色褪せない人生の記憶になるような気がするのです。

 

JUN 

 

 

香港STYLE Vol.48 オークションとアートトーク (2018.12.1)

香港からこんにちは

 

スイスで行われたクリスティーズ・ヨーロッパのジュネーヴ・オークションに続いて、Christie’s Hong Kong (佳士得 香港) オークションが行われました。

 

11月23日〜28日、場所は香港島の Wan Chai (灣仔) 地区にある Hong Kong Convention and Exhibition Centre (香港會議展覽中心) です。

毎年香港オークションの会場となる、通称コンヴェンション・センターは、国際商業展示会や国際会議、大きなセミナー、香港政府の行事やセレモニーなどにも使われる複合施設。 1997年、香港の中国返還式典もこちらで行われました。

 

オークションは、ジュエリー、宝石、時計、中国の古典美術や工芸品、陶器、日本美術、西洋美術、現代アート、ワイン、それに香港ならでは、Hermès のハンドバッグ (プレシャススキン素材や世界で一つしかないオーダーものデザインなど、希少価値の高いもの限定) など、各分野ごとに細かいスケジュールが組まれます。

 

また期間中に、クリスティーズがオークション出品物に関連する専門家達を世界中から招待し、セミナーやパネルディスカッション形式のアートトークを毎回いくつか行うのですが、 これがまた、実に大変に面白いのです。

 

これらはオークションの合間に行われるのですが、どこどこ大学何ちゃら教授の、机上の独断美術史講義なんかを聞くより、2000倍面白い!

なぜって?   それは簡単。

 

ずばり! 

 

このアートが、お金と連動しているから。 

 

美術品オークションは、れっきとしたビジネス。出品物に関わってきた人、時間、歴史、全てひっくるめて値段が付けられ、取り引きされ、投資の対象にもなるのです。

 

現在進行形の美術品市場を、多角的に知り尽くしたクリスティーズのスペシャリスト達が、さらにその道のザ専門家から、時にユーモアたっぷりに引き出す話は、現実的で実用的で刺激的。

目の前のたった一枚の、百何十億という夢のような絵画から、西洋史と東洋史の点と点が繋がり、思わずポンっと膝を叩きたくなるような瞬間にも出会うのです。 

そんな爽快さこそも、美術品オークションビジネスの醍醐味なのかもしれませんね。 

 

 

芸術も科学も医学も、人間がやることにさほど違いはないと思っています。 

どんなに崇高ぶっていても、偉そうなことを言っても、お金が直結するから真理が見える。

そんなクールで当たり前のことを気づかせてくれるのが、オークションのおもしろさなのです。 

 

こちらは、24日に行われたヴァン・ゴッホの絵と生涯についてのパネル・ディスカッション。

左から順に、このディスカッションの司会、クリスティーズ・アジア取締役 Elaine Kwok 氏 、ヴァン・ゴッホ美術館館長 Axel Ruger 氏、クリスティーズ・グローバル会長 Jussi Pylkkanen 氏と、もう一人、ヴァン・ゴッホ美術館主任研究員 Teio Meendendorp 氏の4人で、大変興味深い話を聞くことができました。 

ヴァン・ゴッホは実は画家ではなかった?!件、日本文化の持つ繊細美への憧れが強過ぎて、それを求めて南フランスへ移住した?! (けれども全然違った件。。。

 

さて今回、香港オークションのスターセールは、中国古典美術の最高峰、Su Shi (蘇軾/1037〜1101) による 「Wood and Rock」(木石圜)。

 

落札価格 HK$463,600,000 (約67億2千万円) なり。 

 

Su Shi は中国北宋代の政治家であり、詩人、作家、書家、画家といういくつもの顔を持った、中国のレオナルド・ダ・ヴィンチとも呼ばれる人物です。

 

また、ジュエリー部門では、21石のカシミール・サファイアと、23石のダイヤモンド、合計109.98キャラットのネックレス「The Peacock Necklace」が注目されていまた。

 

カシミール・サファイアそのものが大変希少なうえ、21石の色をここまで揃えることのできたネックレスは奇跡に近く、こういった色揃えだけでも100年はかかるでしょう。

 

 

滑らかなヴェルヴェットの手触りを思わせるような深いブルーの輝きに、ふわっとシルクをかけたような、なんとも言えない独特の色とオーラを持つカシミール・サファイア。

見惚れるほシンプルで、見惚れるほど美しく、見惚れるほど知的な「The Peacock Necklace」。

 

落札価格は,、HK$116,537,500 (約16億9千万円) 。

カシミール・サファイアとしてはオークション史上、再び世界最高額を記録しました。

 

 

優れたアートや素晴らしい宝石は、限られたごく一部の才能や、自然が織りなす奇跡の積み重ねによって作られるもの。けれども、それらの作品は私達万人に開かれています。

 

オークションハウスを通じて受け取るもの、それは精神的な富の蓄積であり、もしかしたら、一生をかけて手に入れていく真の豊かさなのかもしれませんね。

 

JUN

 

香港STYLE Vol.47 オークションで出会うストーリー (2018.11.24)

香港からこんにちは

 

先日スイスのジュネーヴで行われた、Christie’s のジュエリー・オークション Magnificent Jewels。

世界中の顧客から集められた300点以上の壮麗な宝飾品やジュエリーが競売にかけられ、アートとビジネスが融合した、エキサイティングな一夜となりました。

 

その夜のスターセールの一つが、18.96ctの大粒ファンシー・ヴィヴィッド・ピンクダイヤモンド The Winston Pink Legacy 。 

キャラット単位 260万ドル (約3億円) という、ピンクダイヤモンドについた per carrat 価格としては世界最高額を記録し、オークション会場が大きな賞賛の拍手に包まれました。

 

 

 

ジュエリーオークションの中で最も格の高いMagnificent Jewels 。 競売にかけられる作品はすべて、世界的に希少価値のあるものばかりです。

国宝にも匹敵するほどのミュージアムクラス・ピースが、次々と入札され落札されていくのがジュエリーオークション。

 

オークションには、「オークション・カタログ」という、出品される作品全てを紹介した分厚い本が、オークションの数ヶ月前に必ず発行されます。

カタログには、ロット番号順に出品作品の写真、詳細と説明、そして落札予想価格が記載されます。 

 

 

どうかすると、その辺の美術書などより、よほど詳しく分かりやすく書かれている、と私は思っているオークション・カタログ。  

なにせ、オークションハウスを支える各分野の「スペシャリスト」と呼ばれる、超マニアックなオタク集団、、、いや (笑)、専門家集団が作るカタログです。

オークションハウスの「スペシャリスト」。 美術市場でこれほど頼りになる人達はいないと私は思っていますし、はっきり言って、気難しいどこかの西洋美術史の教授が書いた、使えないウンチクだらけの美術書などより、よっぽど読んで楽しく見て楽しく為になる、、と個人的に本気で思っているのが、オークション・カタログです。

 

そしてなにより、カタログに載る100年200年、もによっては数百年という歴史を持つ国宝級の出品作品が、美術館に鎮座し有り難がられることなどなく、時代を超えて人の手から手へ、市場を介し世俗にまみれ流通してきたという、なんともダイナミックな事実。

そしてこれからも所有者を変えて市場へ流通し、歴史を刻みながら生き続けるであろうという事実が、作品にある種の現役感と生命感を与え、それが見る者を魅了するのかもしれません。

 

さて、オークション・カタログに必ず明記してあるのが、落札予想価格。

入札者が入札価格の目安とできるように、オークションハウスのスペシャリスト達が付けるもので、入札スタートは通常、予想落札価格の最低ラインから始まります。

 

実はこの落札予想価格、1970年代まではオークション・カタログには一切載っていませんでした。 

どういうことかと言うと、つまり、作品の価値を自分で判断できない人間はオークションの参加資格なし、ということ。

オークション発祥があのお国と聞けば、妙に納得 (?!) のちょっぴり高飛車な、、、いや、高貴なお話、、、でしょうか。笑

しかし、それではマーケットが広がらないから、カタログに価格を載せてはどうかという提案が、当時出たそうです。

が、またそこからが大変。  価格を明記するなどとは美術作品への冒涜である、との大議論に発展! 

結局、ロット番号の横に価格を記したリストを作成し、カタログに折り込みで入れるという方法で決着。 その後も少しずつ改良を重ねながら、現在のスタイルでのオークション・カタログが出来上がったのです。

 

 

それでも、真のコレクターは必ず、現物を見てから入札を決めます。  

ジュエリーや美術品は大きな買い物であり、そのために、オークションハイライトの作品を、コレクターが多くいる都市に回し、プレビューを開くのです。

プレビューでは、どこそこのジュエリーアートディーラーが Van Cleef & Arpels 1924年製のロングネックレスを熱心に見ていたとか、ある有名コレクターが、ガラスケースから出してもらった JAR のブローチの裏側を、ルーペで丹念に見ていたとか、そういった話からスペシャリスト達内で落札価格が予想されることもあるそうです。

 

 

 

 

オークション・プレビューで出会う様々なストーリーを持つ宝石たち。

それらは現在進行形の生きたアートであり、そこで手に取ったジュエリーが、私に多くのことを語りかけ、精神的な富とは何かを実感させてくれるのような気がするのです。

 

JUN

 

香港STYLE VOL.46 The Winston Pink Legacy (2018.11.17)

香港からこんにちは

 

11月13日、スイスのジュネーヴで、世界2大美術品オークション会社の一つ Christie’s (クリスティーズ) によるラグジュアリーオークション、Magnificent Jewels (マグニフィセント ジュエルズ) が行われました。

 

各部門トップエンドを集めた格の高いオークションは必ずイブニングセールとなり、Magnificent Jewels は、ニューヨーク、香港、ロンドン、ジュネーヴの各都市で、毎年5月と11月に行われます。

オークションでは、毎回多くのドラマが生まれますが、今回も期待を裏切らない エキサイティングなものになりました。

 

18.96キャラットという稀に見る大粒の、ファンシーヴィヴィッド・ピンクダイヤモンドリング「The Pink Legacy」が、予想落札価格 $30〜50million (約34〜57億円) で出品されたのです。

 

この「The Pink Legacy」の出品者については、クリスティーズは徹底した守秘により、今回もプライベートオーナーとしただけで身元は一切公表していません。  

分かっていることは、ロンドンに本社を置くダイヤモンド鉱山、流通、加工、卸売会社「The De Beers 」(デビアス) グループを経営する Oppenheimer (オッペンハイマー) 家が、かつて所有していたことがある、ということだけ。

 

希少なカラーダイヤモンドの中でも、極めて鮮やかな色合いを持つもののみに鑑定される「Fancy Vivid」というカテゴリーのカラーダイヤモンド。 それは、色付きダイヤモンド約10万個に一つとも言われています。 

 

さらに、希少なピンクダイヤモンドで10キャラットを超えるものは極めて稀で、「The Pink Legacy」のような19キャラット近いファンシーヴィヴィッド・ピンクダイヤモンドという宝物の様な出品は、長いオークションの歴史でも過去に例がありません。

 

通常、目視では見えない極々小さな不純物や曇り、僅かに別のカラーが混ざっていることが多いダイヤモンドにおいて、不純物を一切含まず、ここまで高い純度と鮮度と透明度を持つ「The Pink Legacy」。

それは、この石が数億年前に地球内部で生み出された時、通常のダイヤモンドが作られる以上の高温度と高圧力が、瞬間的にであれかかったという奇跡の証明なのです。

 

また、ため息が出るほど完璧で美しい、クラッシックなカット。

 

カラーダイヤモンドにおいても、ファセット数を多くすることで、より石の輝きを引き出すよう研磨されることが多いのですが、「The Pink Legacy」は、石そのものが持つ化学的にも驚くべき純度と透明度の高さを生かしクラッシックなカットが採用されています。 それがまた、この石の奥深い色合いと相まって、洗練と品格となっているのですね。

 

全てが緻密に計算された最高レベルの研磨を施す、ダイヤモンドの研磨職人。 私は、この人達以上に畏敬の念を抱く人達はいないかもしれません。

「The Pink Legacy」は、人類、そして地球の「資産」と言っても、決して大げさではないと思うのです。

 

今回のような大きなオークションの前に必ず行われるオークションプレビュー。 ニューヨーク、香港、ロンドン、ジュネーヴという各都市で「The Pink Legacy」は、熱心なコレクターや専門家達を多いに魅了しました。

今回の Magnificent Jewels オークション会場は、レマン湖のほとりに建つ1834年築の由緒あるホテル、Four Seasons Hotel des Bergues Geneva (フォーシーズンズ オテル デ ベルグ ジュネーヴ)。

300点以上の希少なデザインジュエリー、ダイヤモンド、宝石、パールなどが出品され、「The Pink Legacy」以外にも、資産価値の高いジュエリーが数多く多く出品されました。

 

いよいよ、オークションも終盤。

Lot 311「The Pink Legacy」

 

「Lot number three hundred and eleven. Ladies and gentlemen, The Pink Legacy Diamond.  At 24 million francs… 」

 

この夜のオークショニア、クリスティーズ国際事業責任者 ラウル・カダキア氏が、落ち着いた口調で滑らかにロット番号311の競売をスタートしました。 オークションの歴史に残る「The Pink Legacy」です。

 

CHF 24million (約27億円) から始まった入札は、あっという間に予想落札価格の30億円台に入り順調に上がり続け、競売開始からわずか5分。。。

会場にハンマーの音が響き渡り、大きな拍手に包まれました。

 

落札価格、CHF 50,375,000 (約57億円)。

キャラット単位 CHF 2,656,909 (約3億円) という、ピンクダイヤモンドについたものとしては、世界最高額での落札となりました。 

 

 

落札したのは、アメリカ高級宝飾ブランド Harry Winston (ハリー・ウィンストン)。

これはクリスティーズではなく、ハリー・ウィンストン社が公表したもので、The Pink Legacy の名称はすぐさま「The Winston Pink Legacy」(ウィンストン・ピンク・レガシー) と改められ、新しい所有者に渡ったのです。

 

間違いなく、世界最高級のダイヤモンド「The Winston Pink Legacy」。

 

地球の資産とも言える「The Winston Pink Legacy」は、時代を超えて、見る者手に取る者を幸せにし、地球の奇跡が生み出した完璧な純度を持つ石の中に、人類の歴史を携えながら、これからさらにその価値は上がっていくことでしょう。

 

JUN

 

香港STYLE Vol.45 香港国際空港⓶ 2018年宇宙の旅 (2018.11.10)

香港からこんにちは

 

コスモポリタンシティ香港の空の玄関口、香港国際空港。

世界中の人々の往来を24時間開支える、アジアのハブ空港です。

 

香港島にまだ、今ほど多くの高層ビルが建ち並んでいなかった1970年代などは、啓徳国際空港 (Kai Tak Internation Airport) の滑走路へ着陸するために、九龍市街地真上をぎりぎりまで高度を下げていくパンナム機が、ミッドレベルの自宅テラスからよく見えたそうです。

そしてそれらが見えてから、来港する家族友人を空港に迎えに家を出ても充分間に合っていた、まだそんな、のほほんとした時代の香港だったのです。

ちなみに、熟練パイロットでも緊張する、世界一着陸が難しいと言われた啓徳国際空港は、その着陸アプローチの様子が世界一有名な空港でした。

 

 

これですもんね。。。

 

香港の急速な経済発展と国際都市化に伴い、国際空港としてのキャパシティの限界から、現在のランタオ島に移転、大規模拡張され、1998年にグランドオープンした香港国際空港。

 

市内中心部への利便性、環境へ配慮された建築構造、免税店や飲食店の充実、発着便の多さなど、香港国際空港の良さはたくさんありますが、この空港の最大の良さは、、、

分かりやすく使いやすい 

極端な話、小さな子供でも、高齢者が一人でも、なんなら宇宙人でも👽、迷うことなく使えるように動線が明確に考慮されています。

エイリアンにもフレンドリーな香港国際空港

過剰なサービスに気を取られることなく、空港内で無駄に歩き回ることなしに利用客を飛行機に乗り降りさせ、出入国させるという、言ってみれば空港としての本来の役割を全うしている、ただそれだけ。 

先回りしたサービスの押し売りでなく、必要とされる時に問題なくあるサービス、その至極当然の機能が機能しているのが、香港国際空港なのです

そして、とにかく流れを止めない。

カスタム (税関検査) でも、日本の空港のように一人一人例外なく全員止めてチェックなんてしちゃあいません  みんな素通りです

やっても無駄なこと、効率的でないことはしないのが、香港スタイル

 

人の流れや動線をどうしたら滞らせないで済むか、どうしたら最短距離の最短時間で最大効果を上げることができるか。 こういう問題解決にかけては、香港人はつくづく天才と思います

 

チャイルド、シニア、果てはエイリアンにまで使いやすくできている香港国際空港

その一つに、空港内の圧倒的なバリアフリーがあります。 空港と香港市内を24分で結ぶエアポートエクスプレス (Airport Express・機場快綫) もその一つ。

空港到着出口を出て、そのまま真っ直ぐ歩くと、同じフロアにエアポートエクスプレスのプラットフォームが。

荷物を持って面倒くさいエレベーターや改札口なども通ることなく、コロコロとスーツケースを転がして、出口を出たらすぐ先に見えるプラットフォームに直進するだけ。

ちなみに、エアポートエクスプレスの市内終点の香港駅 (Hong Kong Station・香港站) に到着後も、バリアフリーは続きます。 電車を降りてすぐ目の前の改札を通ったら、これまた同じフロアすぐ目の前がタクシー乗り場。

空港へ到着から、大きな荷物を持ち上げたりなど一切せずにタクシーに乗れるようにできています

 

また、Eゲートと呼ばれる、パスポートを使わず審査官を必要としない、超スピーディーな機械による出入国手続きの導入も、実は香港が世界で最初に取り入れたこと。 

香港在住者なら誰もが必ず持っている「香港IDカード」を使って、「香港居民」(Hong Kong Residence) のEゲートから出入国します。 これは日本が最近、国際空港で取り入れ始めた顔認証ではなく、指紋認証によるもの。

Eゲートが Easy Gate なのか、Express Gate なのか、はてまた Efficiency Gate なのかは、当の香港人も定かではないようですが、まぁ誰が最初だとか何が正確な名前かとか、そんなことは彼らにとってどうでもいいことなんです

大事なのは、スピード

そして、それによって得られる時間と効率性

先に進まないことには意味がない。 そうやって香港は少しの時間も有効に、しかも宇宙人にも分かる効率性で、これからも発展を続けてゆくのでしょう

 

JUN

香港STYLE Vol.44 空の旅「香港国際空港」(2018.11.03)

香港からこんにちは

 

厳密に言うと「日本からこんにちは」となっている今回の香港STYLE。 家族のお祝い事のため、数日間の一時帰国中ございます

さて、近年世界はますます小さく感じるようになりましたが、長距離で国外へ移動する交通手段といえば、やはり飛行機ですよね。 誰しもが、旅行や出張で飛行機を利用されるかと思います。

その飛行機が集まる場所、それが空港。

空港内に流れる、その国その土地の独特の空気、香り、熱気。 様々な国の人が集まっては、散り散りに去って行く空港という場所は、「流れ」が吉と言われる風水的視点からもいい気がありそうな気がしませんか?

飛行機で香港を訪れる際に必ず使う、香港の空の玄関口「香港国際空港」(香港國際機場/Hong Kong International Airport) をちょっぴりご紹介します。

 

香港といえば、密集する市街地の建物すれすれに大きく機体を右旋回させながら着陸進入する、啓徳空港 (Kai Tak Airport/啟德機場) 香港アプローチが有名でしたね。

経験豊富なパイロットでさえこのアプローチは難しく、着陸時に世界で最も緊張する空港として知られていた、あの名物空港です。

啓徳空港は、英国統治下の香港が中国に返還される1997年まで、英国空軍の離発着基地としても使われていました。

香港の経済発展とともに、それまで市内中心近くにあった啓徳空港が、多くの離着陸数と乗降者数をこなす国際空港としては手狭になったため、ランタオ島の現在の場所へ移転することになりました。

新たに建設が始まった香港国際空港は、香港の中国返還に合わせて1997年に開業すべく準備が進められましたが、実際に新しい空の玄関口としてグランドオープンしたのは1998年。 

しかしオープン当日からコンピュータシステムの故障や操作ミス、停電、運航の遅延などトラブルが多発し、市内中心部から遠いなど開港当初は不評だった香港国際空港。

 

遠いとはいっても中心部から車でたったの30分。 これで遠い遠いと言う香港人ですから、いかに香港が狭い土地で、いかに彼らの時間に対する価値観がせっかちなのかが分かるかと思います。

香港国際空港に移転後は、啓徳空港の名物だった香港アプローチの景色は見られなくなりましたが、新空港自体は改良に改良を重ね、オープン当初より便利で機能的で、魅力的に生まれ変わり、見事に汚名返上。

2001〜2008年には、毎年連続で世界のベストエアポートにも選ばれ、大規模ながら非常に機能的な設計で、誰もが分かりやすく誰にでも利用しやすくできています。

私もこれまで世界中で多くの空港を利用してきましたが、香港国際空港はなかなかに優秀な空港だと思います。

 

アジアのハブ空港としての役割を担う香港国際空港は、デザインや使いやすさだけでベストエアポートに選ばれたわけではありません。 「環境に優しい」これも実は大きなポイント。 

空港内照明のLED使用、廃棄物のリサイクル、省エネの空調設備、二酸化炭素の排出量制限などなど、自然環境のことも大変よく考えられた設計になっているんですね。

各航空会社のチェックインカウンターが並ぶドーンと吹き抜けのエントランスは、これから始まる旅のワクワクを倍増させてくれる、そんな魔法の力があるような気がします。 

次回は、空港の中を少しずつご紹介しますね!

 

JUN

 

香港STYLE Vol.43 ポジティブファッションが世界を変える⓶ タイムレスな赤 (2018.10.27)

香港からこんにちは

 

 

タイムレス。

もしかしたら、この言葉ほど香港の一般的なイメージとは違うものもないかもしれません。 また、この言葉ほどイギリスのイメージを表現するのにぴったりな言葉もないでしょう。

長い年月をかけ歴史や文化、芸術を育んできたイギリス。 数百年前と同じ方法で調理された同じ味付けの食事をし、500年前に建てられた同じ校舎で学ぶ、当時から変わらない理念の学校教育。 数百年間同じ景色も田舎のランドスケープに、彼らの悠久な時間の流れ。

変わることが宿命のような香港。 変わることをよしとし、むしろ変わらないと生きていけない街かもしれません。

どんな小さな隙間でも、ビジネスチャンスを見つけては果敢に飛びつき、利益なしと見込めばあっさり転業。 見通しが悪ければ、新しい道を見つけて進むまで。

次から次へと方向転換をし、その機動力がさらなる変化を呼び込む香港は、その摩擦熱でさえ彼らのパワーであり原動力なのです。

 

 

アジアにありながら相反するものが存在する、混沌と整然の香港で、好んで使われるタイムレスな色、それは赤かもしれません。

 

何につけてもダイナミックなこの街で、赤色の持つエネルギーは、そんじょそこらの甘えを受け入れない強さと潔さをもって好まれます。

 

 

今でも忘れられないのが、高級ショッピングモールですれ違ったご年配女性。

杖をついてゆっくり歩く彼女の足元は、ハイヒールではなく履きやすそうな少しだけ高さのあるシンプルな靴でしたが、お化粧をし髪の毛は綺麗にセットされ、形の整えられた指先の爪に赤いマニキュア。

杖をつく指先でさえ、赤で彩る気概。 足元がおぼつかずとも、指先を赤にする意志。

ただすれ違っただけの彼女の人生は、私には知る由もありませんが、そんなカッコよくもドラマチックに年齢を重ねたいとその時思ったものです。

指には大粒のダイヤモンドリングが輝き、彼女の内面からにじみ出る、意志の強さと赤とダイヤモンドという3者の共演は、お互いに異なものが共存し高め合う、香港という街そのもののようでした。

 

人生の甘辛をポジティブに受け入れ謳歌するのにぴったりな赤。

 

 

ポジティブであり潔く、成熟した人にこそ似合う、タイムレスな色。  

 

人によって街によってタイムレスの意味合いは変わるのかもしれませんが、赤が香港にとって特別な色なのはタイムレスなのかもしれませんね

 

JUN