香港STYLE Vol.75 いつか翠色をまとう日 (2019.06.09)

香港からこんにちは

不思議なのですが、子供の頃に直感的に好きだったものは、意外と大人になっても、好きなまま。 テイストや好みがほとんど変わっていないということ、ありませんか?

子供の頃に理由もなく感じる『好き』や『憧れ』は、きっと、どんなフィルターも意図も隠されていない、純粋で直感的で本能的なもの。 

そんなイノセントな感覚に、人生の時間を重ねてきたからこその感性と教養と知性が加わるとき、その人のエレガンスがさらに深みを増し、そういった年齢を美しく重ねている人に接するたびに、賞賛と憧れが募っていくのです。

 

子供の頃に好きだった長編小説に『Gone With the Wind』があります。

『風と共に去りぬ』という邦題で翻訳され、ヴィヴィアン・リー主演による映画も、知らない人はいない名作ですね。

原作を読み始めてすぐ、想像力を掻き立てる美しい風景描写や個性豊かな登場人物の人間模様に引き込まれ、これまで接したことのなかった物語のスケールの大きさにも感動し、時間を忘れて一気に読み終えては、また何度も読み返すほど、のめり込んだ小説でした。

私が何よりも惹きつけられたのは、強烈な美しさと強さを個性に持つ魅力的な主人公、スカーレット・オハラが要所要所で放つ、エメラルドグリーンという色。

それは、時に、火のように強い意志を秘める彼女のグリーンの瞳の中に宿る孤高であったり、

 

 

 

白亜の邸宅と緑豊かなタラの敷地に調和する高貴なグリーンを基調とするドレスであったり、

南北戦争の混乱で愛する家族も何もかもを失ってしまったかのような試練と絶望の中、邸内に唯一残ったグリーンヴェルヴェットのカーテンを見てドレスを作ろうと決意する、骨太で野生的で強靭な彼女の強さを象徴するドレスのグリーンであったり。。。

 

グリーンというと、それまでは漠然と、平和で穏やかで、どちらかといえば主張のないニュートラルなイメージで、私の意識の中にほとんど登場してこなかった色でした。 それが突然、大きなインパクトと共に煌めきを帯び始めたのです。

当時の私はまだ、10歳そこそこの小娘。 大人の厳しさも、責任の何たるかも分かっていない中で、急に、グリーンがものすごく大人びた色だったんだと気付いた、あの衝撃は忘れられません。

それでも「あなたには100年早い色」と色の方から言われているような、、、スカーレットのように似合うような女性になりたいと思う憧れはあるけれど、未熟な自分にはまだ不釣り合いなだけ、と畏れを感じるような、、、そんな感性だけはあったのでしょう。 色との距離を保ったまま、時だけが過ぎて行きました。

 

 

 

正直、色への憧れはあっても実際どう使っていいか分からない、というのもあったと思いますが、要は、グリーンという神秘的な色が、実は最もその人の内面を、静かに説得力をもって引き出してしまうことを、直感的に感じていたのだと思います。 未熟さをさらけ出してしまうようで、怖かったんですね。

 

それからさらに時が経ち、大人になって再び移り住んだ生まれ故郷の香港で、あの頃、強烈に憧れたグリーンに巡りあったのです。

 

 

 

それは船舶から眺める香港の海であったこともありますが、チャリティに励む香港マダムが公の場で身につけていた最高級翡翠の「琅玕」であったり、香港オークションのプレビューで出会った極上エメラルド玉のネックレスであったり。 

どれも、強さと率直さと知性をじんわりと秘めたエレガントなグリーンに、子供の頃初めて『Gone With the Wind』を読んだ時の感覚を、新鮮に思い出したのです。

 

 

そして不思議なことに、グリーンへの距離が近付いたというか、憧れながらも到底敵わなかったあの頃と比べると、グリーンから「100年早い」とは言われなくなっただけの時間と経験値を、少しは重ねて強さを身につけてきたかなぁ、、、と、ふと、思ったのです。 

 

 

 

 

 

 

『神よ、私は二度と飢えたりなどしません』と力強く誓うスカーレット・オハラ。

香港や香港人を見たとき、彼らの原点もやはりそこにあります。

持って生まれたものではなく、与えられたものでもなく、自分の意志で何かを勝ち取ろうとする毅然さを宿している人にこそ、グリーンという色は美しく調和し、年齢とともに輝きが増し、決して色褪せることがないような気がするのです。

 

JUN