香港STYLE Vol.54 英中その打算 (2019.01.12)

香港からこんにちは

盛大なカウントダウン花火が終われば、特に改まった雰囲気もなく軽〜くスルーされる中華圏新暦のお正月を経て、すぐにまた目まぐるしい日常に戻っていった香港。この街には、のんびりと暮らそうとする人はいないのかもしれません。

ここに生きる人達は皆、ひたむきに、したたかに、たくましく、たとえ明日地球が滅びると知っても、「OK。 それなら投資目的のバンコクの不動産、明日までに売却手続きをして、最後の食事は、沾仔記の招牌雲吞麵 (海老ワンタン麺) で」などと、きっとどこまでもプラクティカルに違いないと思うのです。地球最後の一日になっても、投資と食べ物を熱く冷静に語れるほど、毎日を生ききっている人が集まる香港。世界中どの都市でも遭遇し得ない、この混沌とエネルギーこそが、香港の魅力なのでしょう。

英系資本から華人資本へ。 香港植民地経済の勢力図の変化が顕著になり始めたのが、1970年代。ようやくその頃から英国、中国双方がお互いに、香港の行方を水面下で意識し始めました。アヘン戦争の戦後処理によって生み出された香港は、中国にとっては、誤解を恐れずに言えば「屈辱の象徴」。

しかし、一度主権が奪われたものを、今度は武力行使なしで英国から奪還できる「返還」というチャンスを中国は充分に把握したうえで、英国に対し先走った返還交渉などへは着手せず、又させず、英国による香港統治の継続という、現状維持を選択しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国中央政権にとって香港は、貿易や外貨獲得など共産圏経済の抜け道として、充分以上の利用価値があったのです。その上で中国は、自らの手は汚さず英国に仕事をさせ、香港を金の卵に育てさせていきました。

英国は英国で、第二大戦後相次いで植民地を失い、アジア圏での植民地経営の要だったインドは独立。 引き続き、香港を英領として維持しておくことは、英国の極東での権益維持にために、重要な政策の柱だったのです。

英国は、中華人民共和国建国後、中国が香港返還を要求してこないと読むや、資本主義国家の中で最も迅速に、社会主義国家の中国と外交関係を深めていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように、英中双方の打算的な思惑がかみ合った結果が香港統治の成功となり、香港の繁栄を導き、香港の国際金融都市としての力となっていったのです。これは、香港を舞台とした「長期打算、充分利用」と後に言われるもので、この辺りの大局的な外交戦術は、英中この2国はさすがです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、「札束で英国の頬を叩く中国」に対し「英国流の皮肉に満ちた歓待」などと揶揄と応酬にあふれた、2015年、中国最高指導者の英国公式訪問。

当時私は英国在住で、英議会で行われた国家主席の演説を、BBCニュースで大変興味深く見ていたのを思い出します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この演説の中で2国間の歴史を振り返る箇所では、アヘン戦争や香港割譲、英国による植民地統治などはビタのひと言も触れず、ニュアンスさえ感じさせなかった中国側。良し悪し云々ではなく、英国の面子を立て利用する、こういった駒の動かし方こそ、国際舞台に出た時、相手にできる、される外交なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本がこれから生き延びていくためには、島国特有の今までのような変な対処の仕方でなく、この様な相手をまずよく知った上での外交スキルは間違いなく必須でしょう。

ちょっぴり話がずれてしまいましたが、続きはまた続編で

To be continued …

JUN