法の精神(8月15日に際して)

法には法の精神があります。法を制定しようと提案する集団や個人は、その法律の背後に、よきにつけ、悪しきにつけ、その法の真の目的を強く意識しています。それが法の精神です。

現在、戦後最悪の法案が衆議院を通過し、参議院に回されています。総選挙で十分な国会の議席を獲得したのだから、何をやってもよいのだと考えているとしか思えない、今の権力者達の言動を見るにつけ、この法案の背後にある、法の精神の恐ろしさを感じています。現在、ずいぶん多様な人々が、止むにやまれぬ思いで、この法案の廃棄のための声を上げていますが、それはこの法案の背後にある「法の精神」に気がついているからだと思います。法曹的な言葉じりや、ごまかしの「戸締まり論」がこの法案の真の目的だとは到底思えないのです。

そもそも法や法治主義という制度は、人間がその長い歴史の中で、甚大な犠牲を払って徐々に作り上げてきたものです。権力者達の恣意や気分で、その社会に生きる人間の自由や尊厳、人権が損なわれないよう、独裁や絶対王政という過酷な体験に対する反省から作ってきたものです。もちろん、それも完全なものではないことは周知の事実ですが、少なくとも民主主義と法治主義は、現在の人間社会の仕組みや在り方としては最良のものと言ってよいと思います。

それに対して、新法案の審議に際しては、「法的安定性は関係ない」と最近、堂々と言い放った人物がいましたね。ネット上でも勝手な気炎を上げている一部の不快な人達のひとりが言ったのではありません。精神的にはその連中のお仲間かもしれませんが、現政権で最も中枢に居て、強大な権限を預かっているはずの人間の言葉でした。

「法的安定性は関係ない。時代が変わったのだから政府の(憲法)解釈は必要に応じて変わる」

ちょっと聞いただけで、唖然、呆然としませんか? これは法治主義の完全な否定です。非難されたあとから、とってつけたような言い訳をしようと、これは立憲主義や法治主義の完全な否定であり、あの人達の本音です。政権は選挙で多数を取った権力者なのだから、法治主義なんてやっていられるか、これからは権力者の意図による人治主義でいくんだ、という現政権の本音が見え見えです。

法的安定性とは憲法を頂点とする法体系や解釈、適用を頻繁に変えずに安定させ、人々の法に対する信頼を守ろうという法治国家の大原則です。時の権力者が勝手に憲法解釈を変えてしまえば、憲法が権力を制限する「立憲主義」は崩壊してしまいます。その人物は、自分は法律を学ぶ最高学府を卒業したけれども「立憲主義」などという言葉は聞いたことがないとも言い放っていました。これはその最高学府に対する手ひどい侮辱でしょうね。

現政権の本音漏らしは、まだありました。日本国憲法の三大原則(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を批判し、「私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。」と言い放った自民党衆議院議員がいましたね。

この呆れた暴言を見た時の僕の最初の感想は、「まさか! ウソだろー!」でした。とても本当とは思えなかったのです。こんな自民党衆議院議員に極めて多額の税金が使われ、強い権限が与えられているのかと思うと、もう言葉もありません。この国はいつからこんな愚劣になってしまったのか。こんな愚劣な人間を選挙で当選させるようになってしまったのか、と絶望的な気持になります。

ナチス党の幹部達は演説や宣伝を通じた大衆操作には極めて長けていましたが、結局のところ、本質は凶悪なゴロツキでした。今回の一連のことは、そのことを想起させます。1920年代〜30年代にかけては、世界で最も先進的な(つまり現在に近いという意味です)ワイマール憲法を制定していたドイツが、ナチスによる勝手な憲法解釈から始まり、あっという間の政権奪取、そして恐ろしい法律の制定、そして戦争、虐殺、破滅へと向かっていったことは周知の事実ですが、まさにあっという間でした。

以下は私見ですが、僕が今回の法案に関して最も危惧していることです。こういう場で表現することにいささかの躊躇はあるのですが、現在の危機的な状況を考えますと、止むにやまれぬ心境なのです。

僕は法律に関しては、まったくの素人なのですが、素人なりに感じていることがあります。それは法律には3つの強い特性があると言いうことです。

ひとつは、最初に申し上げましたように、法には法の精神が厳として存在するということです。法案の提案者は必ずその法を制定する目的=精神を持っています。今回の安保法令の精神は、断じて「戸締り論」ではありません。提案者達が権益を代表する軍産複合体の権益をさらに拡大し、その障害となりそうな思考を持った人間や組織を弱体化し、できればあらゆる手法を用いて弾圧し、日本を軍事大国にするという列強志向です。軍事面からしても、どうしても列強になりたいのでしょうね、現政権の人々は。でも、太平洋戦争に敗北した時、あの計り知れない犠牲を払って生き残った先人達は、日本は2度と再び、軍事力を使った列強にはならないと誓ったのです。

そもそも「戸締まり」だけなら、現在、既に十分な体制を持っています。なにもゴリ押ししてまで、違憲立法をする必要はさらさらありません。どうしても列強のひとつになりたいのです。そのためには内心は核装備だって厭わないことでしょう。

現在、まともな心を持った各界の多くの人達が、止むにやまれぬ心境で声を上げ始めているのは、法案提案者達のその意図がよくわかっているからだと思います。さきほどの愚劣な自民党衆議院議員の属する派閥の長が、これまた輪をかけて愚劣なことに、「法律を作ってしまった後なら何を言ってもいいが、制定前は少し慎め!」と言っていましたが、もはや何をか言わんやです。まったく言葉がありません。でもこうした本音漏らしから、この法律の精神が、よりはっきり判ります。

法のもうひとつの特性は、法は絶対的な強制力を持っているということです。法はいったん成立してしまうと、有無を言わさぬ絶大な権力となります。法に対抗することは、強大な国家権力そのものに直接対峙することになります。一度でも法に真剣に対峙したことがある方はよく判っていただけることと思います。

それから3つめの特性は、法はできてしまうと、とめどない拡大解釈とそれを促進する、執行現場の権力中枢に対する過剰な忖度が発生してしまう宿命を持っていることです。

法の強制部分を執行する現場の官僚達にとっては、条文の拡大解釈は最もやりたいことのひとつです。自分達の権限がそれだけ大きくなるからです。自分の判断や権益の追求が気兼ねなくできたら、執行現場の人間達にとっては、これはたまらなく魅力的なことでしょう。「政府が総合的に判断して決めます。」という言い方は、まさに政府への絶対的服従と白紙委任の強制を表現するあの人達流の言い方です。

さらにそれに加えて、自身の昇進や栄達のために、法の精神を忖度して、権力中枢が喜びそうなことを積極的に実行するのも宿命的なものです。戦前の日本には、こんなことが無数に起きていたのです。

もしも運悪く(本当に運としか言いようがありませんが・・・)僕が大正末から昭和初期に生まれていたら、まず間違いなく、生きてはいられなかったと思います。戦場に送られて戦病死する以前に、体制翼賛に同調できない非国民として殺戮されていたと思います。これはある種の自負を持ってそう申し上げたいと思います。伝え聞く現在の北朝鮮とまったく同質か、それ以上の独裁体制が存在したのです、戦前の日本には。

こんな文章を書くのは、決して楽ではありません。いろいろな意味で、とてもしんどいことですが、8月15日という敗戦の日にあたって、どうしても書かずにはおられませんでした。あらためて近代日本の歴史を振り返って、そこから真摯に学ぶことがこれまで以上に大切になっていることを痛感しています。

戦争は、防衛を名目に始まる。

多くの人が不安や疑問の中で止めて欲しいと願っている、途方もなく非常識な費用のかかる国立競技場の建設、そして戦争への途に間違いなく繋がる強制力のある法制の制定など、国会の議席を得たのだがら何をしてもよいという「傲慢症候群」にとりつかれている権力人達の言動を見るにつけ、日々本当に絶望的な気分にさせられています。

そんな中で本日、目にしたのが以下の声明分です。誰がいつ出したのかは後述するとしまして、よろしければまずはご一読いだたけますか?


戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
 
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
 
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
 
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
 
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
 
生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。


実はこれはつい先日(7月に入ってから)、京都大学の教職員や学生らが中心となって結成した有志の会が発表した声明文の全文です。既にお読みになった方もおられると思いますが、僕の心には見事にストーンと収まりましたので、あえてご紹介させていただきます。

そうです、歴史上のいかなる戦争も「今から自分達の権益のために侵略戦争を始める」と言って始められたものはありません。あのナチスドイツだって、自国民の生命・財産を守るためにと宣言して、ポーランドやチェコへの侵略を開始し、それが欧州全域の戦争へと発展したのです。戦前の日本だって、「満蒙は日本の生命線、失ったら日本は立ち行かなくなる」と叫んで、中国への侵略をとめどなく広げていったのです。敗戦後、「満蒙を失った」どころか、そんなこととは比較にならないほど途方もなく巨大な負の遺産を抱え込まされながら、日本は平和を宣言しつつ、見事に立ち直ったではありませんか。

ナチスドイツも見事にそうでしたが、戦争を始めたい連中は、世論を喚起するために、必ず、例外なく、憎悪の相手を創出します。わかりやすい憎悪の対象、つまり敵を作るのです。そして、あらゆる手段、とりわけ大衆に影響力を持った媒体を駆使して、その相手に向けた憎悪の世論を喚起します。

その結果は、ヒトラーの遺書に明らかです。ヒトラーはその遺書の中で、世論が国家を戦争に仕向けたのであり、決して自分のせいではないと言い訳したのです。だからベルリン陥落直前になっても、老人や少年達まで戦闘員として強制的に動員し、明らかな死地に積極的に赴かせたのです。戦争の最中には一般市民など存在せず、国民全員が戦闘員なのだ。だって彼ら国民がこの戦争を始めさせたのだからと。

戦争が始まれば、非戦闘員、なによりも、若者や子供達が、そのおじいさんくらいの人達の指揮のもとで、たくさん死んでいくのです。その挙げ句、膨大な犠牲を出した後に、ヒトラーのように「世論がそう言っていたからだ」と責任逃れをされたのではたまりません。

史実を冷静に、きちんと検証して、自分のことに置き換えて具体的に考えることが必要なのではないかという、この声明を書いて発表した人達に僕は心から賛同します。たいして長くありませんから、まずはもう一度、お読みになりませんか?

下鴨神社も!

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直前の記事で、京都御苑に隣接する梨木神社の境内の一部が定期借地権で貸し出され、そこにマンションが建設されることと、現在その建設が進行中であることについて書きました。それを書きながら、ひょっとしたらこれが突破口になって、あとに続く神社仏閣が出てくるような気がしていたのですが、やはり勘が当たってしまいました。ごく最近、まったく似たような話が明らかになったのです。しかも今度の件は、もっと大規模で、もっと名の知れた神社での話です。

3月3日の京都新聞にこんな記事が掲載されました。僕が梨木神社のことを書いたのは、2月初旬のことでしたから、それからほぼ1ヶ月後のことです。

<京都新聞から引用>

下鴨神社にマンション 世界遺産隣接地、式年遷宮費用に

下鴨神社(京都市左京区)は2日、式年遷宮の費用を捻出するため、境内の一部を高級分譲マンション用地として事業者に貸し出すと発表した。世界遺産として知られる国指定の史跡「糺(ただす)の森」の隣接地を50年間の期限付きで貸し、年間約8千万円の地代収入を境内の整備や文化財の保存事業などに充てる。

計画地は境内の南端約9600平方メートルで、現在は有料駐車場や研修道場として使われている。世界遺産に登録されている史跡区域とは、御蔭通(みかげどおり)を挟んで隣り合う位置にある。

計画では、敷地の中央を通る表参道の両側に、高さ10メートルの鉄筋コンクリート造3階建て計8棟(計107戸)と駐車場、自転車置き場などを整備する。11月に着工し、2017年2月に完成する予定で、富裕層向けのマンションになるという。

あわせて、敷地内の表参道を石畳風舗装に改良するほか、御蔭通の歩行スペースの拡幅や建物周辺の植樹を行い、景観との調和を図るとしている。研修道場は老朽化のため取り壊す。

下鴨神社では、21年ごとに社殿を大規模修理する式年遷宮に取り組んでおり、今年4月にはご神体を仮本殿から本殿に戻す「正遷宮」が営まれる。資金を工面するため08年度から募金事業を行ってきたが、リーマン・ショック後の景気の落ち込みなどで、当初見込んでいた企業などからの寄付が目標の半分程度しか集まらなかったという。

同神社は「式年遷宮には莫大(ばくだい)な費用がかかり、募金を柱に資金を確保するのは難しい。収益事業を拡大し、境内に85棟ある社殿を1棟でも多く修理したい」としている。

<引用終了>

なんとまあ、規模は違いますが、前記の梨木神社のケースとそっくりな内容ですね。今の段階で、梨木神社と異なる点は以下のようなことだと思います。

1)神社側が年間に受け取る地代が、梨木神社が約8百万円に対して、下鴨神社は約8千万円と10倍の規模。

2)分譲予定戸数が梨木神社35戸に対して、下鴨神社107戸と約3倍。

3)定期借地権の設定年数が、梨木神社60年に対して、下鴨神社は50年。

4)下鴨神社は世界遺産の指定を受けている。

5)梨木神社は、マンション建設に関して、所属していた神社本庁の同意が得られなかったために、同庁を離脱したのに対して、下鴨はなんとか同意を得た。

6)下鴨神社の場合、設計・施工を全国的大手の竹中工務店が手がける。梨木神社の場合は、このランクの最大手ゼネコンは手を出しませんでした。

ということで、今回は何やら突破口となった梨木神社のケースから大いに学んで、よりスマートに、より大規模にやったような気がします。

上の左側の地図をご覧いただけますか?クリックしていただけますと、大きくなりますので、よりわかりやすくなると思いますが、境内南端の「第三期」「整備計画地」と表示してあるのが、今回のマンション建設用地です。下鴨神社境内総面積約12万平方メートルの内、南端の9600平方メートル(約2900坪)ですから、ほんの一部と言えばその通りですし、この地域は世界遺産指定を受けているわけではありません。世界遺産指定を受けているのは、御蔭通(みかげどおり)をはさんだ北側の緑色の線で囲まれた部分です。

下鴨神社は、マンションの開発によって借地料収入を得なければならない理由として、以下の2点を挙げています。

1)21年ごとに約70棟に及ぶ社殿を修復したり、屋根の檜皮(ひわだ)をふき替えたりする「式年遷宮」の費用を捻出するため。2015年4月には34回目の遷宮が行われます。遷宮には1回で約30億円の費用がかかるものの、国から受け取る補助金は8億円ほど。残りの約22億円は、個人や企業などからの寄付で賄わなければならないのですが、実際に集まったのは必要額の半分以下。今後も大きく増えることは期待できません。

2)マンション計画地は古くから糺の森の一角を占めているにもかかわらず、文化財指定地や世界遺産の区域から外れ、環境の維持や保全に公的な補助が受けられない。計画地内にある研修道場は老朽化している上、耐震性にも問題がある。しかし、神社独自の予算では解体さえままならない状態。樹木の管理も行き届かず、糺の森の植生とは異なる樹木が生い茂り、荒れた状態となっている。

ということで、これまでのような寄付金頼みの収入では、今後、文化財として神社を次世代に残すのが難しくなると考えて、数年前から所有する敷地の活用方法を模索していたのだそうです。

宮司さんの話でも「これから先、人口も減る中でさらに苦しい状況になる。次の遷宮のためには、思い切って集合住宅の建設を決断せざるを得なかった。」とのことで、まあやむを得ないか、というのが実際のところなのでしょう。そのかわりに、マンションの入居者には、葵祭などの伝統行事の支援者となってもらったり、氏子団体への加入を求めるのだそうです。

上段右の地図にありますように、この場所は、京阪叡山電鉄・出町柳駅から徒歩5分の好立地です。すぐ南側に広がる下鴨という高級住宅地とも相俟って、かなりの高級マンションになることでしょう。

ただ気がかりなことがあります。梨木神社の場合もそうですが、定期借地権終了後は契約延長権とか、建物買取要求権等、入居者の所有権や借地権は一切消滅するのですが、その時点で神社側には、それまでの地代収入に替わる別の収入があるだろうか、という点です。

50〜60年先のことですから現在の当事者は、ほとんどすべていなくなっていることは間違いありませんが、現在行き詰まっている寄付金頼りの収入形態が、数十年後に解決されているとは考えにくいのです。結局、同様な土地の貸し出しを新規にせざるを得ないのではないか、と老婆心ながら思ってしまいます。

もう1点あります。それは梨木神社のケースが突破口となったように、今回のより大規模で名の通った下鴨神社のケースは、同様な財政課題を抱えている他の多くの神社仏閣の今後の経営に大きな影響を与えるように思えることです。つまり、あとに続く神社仏閣の輩出に歯止めがかからなくなるのではという危惧です。ささやかながら、会社の経営に責任を持つ者としましては、資金繰りのことは他人事ではありません。決して誰かがやってくれるわけではないのです。自力で解決するしかないのです。

この開発の概要は以下の通りです。

開発名:糺の森第三期整備計画
所在地:京都市左京区下鴨泉川町60
最寄り駅:京阪・叡山電鉄 出町柳駅徒歩5分
面積:土地9647平方メートル、延べ床面積未定
構造:RC造
階数(地上/地下):3/0
用途:住宅
戸数:107
事業主:賀茂プロパティーズワン合同会社
設計者:竹中工務店
施工者:竹中工務店
工期:2015年11月 〜 2017年2月

以下は完全部外者としては、まったく余計なお世話なのですが、定期借地権物件とは言え、分譲価格はかなりのものになるだろうなあ(多分、億ション)ということに加えて、入居者の月々の負担も相当な金額になるだろうという点も、俗物として気になります。

梨木神社の場合もそうでしたが、ここでもかなりの固定資産税の他に以下のような固定的な諸費用が毎月発生するはずです。

管理費、修繕積立金、解体準備金、地代

ここの場合、下鴨神社が受け取る地代は年間8千万円の予定だそうですから、それを単純に107戸で割ると、年間約75万円。ということは地代だけでも1戸あたり月額6万2千円程度ということになります。解体準備金も梨木神社の60年よりも10年短い定期借地権ですから、当然あちらよりも高くなります。ということで、この4項目の費用だけでも毎月10万円をはるかにオーバーしそうです。

定期借地権物件ですから、転売もなかなかたいへんだということを考えますと、まあお金をふんだんに持っている特殊な層の人々の別邸として購入されるのだろうなあ、とまったく無関係な僕は思っています。

それにしても、梨木神社と下鴨神社がやったのだからウチも、と思う方々はかなりいそうですね。どうしたものでしょうか?

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