「山宣」記念碑

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↑ 写真はよろしければ、クリックしてご覧ください。


「山宣」記念碑


長野県上田市の近郊に別所温泉という、雰囲気のとてもよい温泉があります。「フーテンの寅さん」にも舞台として登場したことのある、ちょっと素敵な温泉地です。

そこに「山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄」記念碑という小さな記念碑があります。僕はかねてより、そこに一度行ってみたかったのですが、なにせ遠方のことですし、なかなか機会にめぐまれませんでしたが、過日ようやく実現できました。記念碑は別所温泉にある、北向観音(きたむきかんのん)という観音様から歩いてすぐの場所に、ひっそりとありました。

上の左側の写真が、山本宣治の記念碑でして、右側の写真がそのいきさつを説明した文章です。記念碑に刻まれたアルファベットは、ラテン語でして、「VITA BREVIS SCIENTIA LONGA」とあります。山宣の座右の銘であった「生命は短し、科学は長し= Life is short, science is long.」という意味だそうです。記念碑前の小さな花束は、ささやかですが僕が当日持参したものです。

「山宣」につきましては、僕はずっと関心を持っておりまして、このブログ内でも2回、書かせていただいております。もしよろしければ、下記のタイトルをクリックしていただけるとご覧いただけます。

山宣 その1

山宣 その2

この記念碑につきましては、建立した「長野山宣会」の文章がその経緯を最もよく説明していると思いますので、右側の写真の文を以下に引用させていただきます。

<引用開始>

山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑について

昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。

これより前、上田自由大学の講師として別所に在住していたタカクラ・テル(高知県出身、文学者、日本共産党衆・参議員)は、農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。

1929年(昭和4年)3月1日、上小農民組合連合会は第2回総会にタカクラの義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士)を招く。この記念講演は1千名を超える聴衆に深い感動を与えた。

この講演から4日後の3月5日、山宣は治安維持法改悪承認の議会にただ一人反対演説をすべく上京したが、その夜、右翼によって暗殺された。

上小農民組合は山宣の死を悼み、追悼大会の決議により抗議の記念碑を翌年5月1日(メーデー)にタカクラの借家の庭に建立した。

1933年2月、治安維持法による県下最大の弾圧事件であった「二・四事件」でタクラ・テルは逮捕、家族は県外追放となった。

警察は家主の齋藤房雄に、碑の取り壊しを命じてきたが、氏は碑を密かに自宅(旅館柏屋別荘)の庭に埋め、38年間守り通した。

戦後、この碑の再建委員会を結成、多くの協力者を得て1971年10月、碑はこの地に再建された。

碑の前面に彫られたラテン語は、山宣座右の銘「生命は短し科学は長し」の意である。なお、碑面の文字はタカクラの筆である。

タカクラ・テルは1986年4月に亡くなり、記念碑は1988年10月、山宣の碑に並べて建立された。齋藤房雄記念碑は2006年、山宣碑再建35周年記念事業で建立した。

長野山宣会

〈引用終了〉

以上がこの記念碑のいきさつです。山宣の碑が黒ずんでいるのは、1933年(昭和8年)から38年間、齋藤房雄氏の自宅庭に埋められていたせいかもしれません。ささやかな花束をあげて、何年越しの希望であった記念碑詣でを済ませたあとは、少しスッキリしました。

ところで、別所温泉近郊は信州松茸の名産地のひとつだということが行ってみて判りました。今年はちょっとシーズンを過ぎかかっていましたので、残念ながら諦めたのですが、いずれ最盛期に山宣記念碑詣でのついでに、松茸も楽しみたいものだと俗人としては決意した次第です。

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