賀茂一族

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賀茂一族


上の絵図は、毎年8月16日に京都で行われる五山の山焼きのひとつ、船形送り火を描いたものです。京都から一昨日届いたのですが、絵図としては、ちょっと珍しいもののようです。

五山の山焼きにつきましては、この掲示板の中でも何度も取り上げて参りました。まあ、それだけ面白い風習だと僕は思っているわけです。主な記事だけでも、以下の4件がありました。時間に余裕のある方は、よろしければ是非ご覧いただけたら幸いです。

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?no=279

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?no=369

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?no=1935

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?no=2553


ところで、船形送り火の火床(ひどこ)は、西賀茂・正伝寺の裏山、船山の山腹にあります。上記の4番目の記事で取り上げた、臨済宗南禅寺派のお寺です。

でも、ここでのおしゃべりは、五山の山焼きのことではありません。実は以前から、「賀茂」という言葉に何か意味を感じておりましたので、ちょっと調べたことをご紹介させていただこうと思います。

この正伝寺のある一帯を西賀茂と言います。これは鴨川をはさんで、上賀茂の西側に位置することからそう名付けられているのだそうですが、そもそも、「賀茂」、「加茂」、「鴨」などと呼ばれる名称は、すべて賀茂一族にその由来があると聞きます。

それでは、賀茂一族って、いったいどんな人々だったのでしょうか?

賀茂族(加毛,加茂,鴨と表示されることもあります。)は、大和の葛城地方を本拠とする古い氏族で,出雲系氏族の中心をなす一族であったということがわかっているようです。

石器時代の頃、現在の京都市のあたりには大きな湖があったようです。段々に干上がっては来たものの、平安時代初めでも未だ湿原地が多かったのですが、大和政権(奈良)が確立し始めた前後、その大和民族の中で『賀茂』と名乗る部族が命を受けて北上し、京都北部を開拓しながら、拠点を造っていきました。賀茂一族は、おそらくは騎馬民族の系譜を引く部族だと思われますが、水田農耕の技術も持っていて、新開地開拓と、その後の維持管理にはたいへん長けていたと思われます。

またこの一族は、宗教経営的な才覚も十分に持ち合わせており、開拓した地域に自分達の氏神を祭り、宗教的中心地としていきました。上賀茂神社と下鴨神社は、そうした氏神信仰の中心地であったわけです。

上賀茂神社と下鴨神社で、祭りに馬を使った神事を奉納するのは、彼らが騎馬民族の流れを汲んでいることをあらわし、また祭神として、『雷』を祭ったのは農耕氏族としてその土地に腰を据えたことを意味していると言われています。

いずれにしても、賀茂一族が古代の京都を開発した功績は大きく、平安京を誘致した陰の功労者でもあったと思われます。

ところで、賀茂一族の氏神を祭ったことから始まり、現在でも京都有数の神社である上賀茂神社と下鴨神社ですが、最初は一つの神社(賀茂社)だったようですが、8世紀後半頃に2つの神社に分けられたようです。

両神社は、直線距離にしても2.5キロほど離れていますから、元々はさぞ大きな神社だったのだろうと思います。

両神社の正式な名称は、下鴨神社が、「賀茂御祖神社(かも みおや じんじゃ)」、上賀茂神社は、「賀茂別雷神社(かも わけいかづち じんじゃ)」と言います。

日本的な習慣から言えば、「上(かみ)」と、「下(しも)」がある場合は、たいていは、「上」の方が格が上で、「下」の方は格下ということになります。この両神社の場合も、僕はてっきりそうだと思っておりましたら、さすがに物事が単純ではない京都のこと、そうではなかったのです。

下鴨が「御祖(みおや)」であるのに対して、上賀茂は「別雷(わけいかづち)」であり、親から分かれた子だったのです。

実際、下鴨さんの祭神の1人(1人と言ってよいのかどうかわかりませんが・・・)
は、玉依姫命(たまよりひめのみこ)という方ですが、上賀茂さんの祭神は、その子である、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのかみ)なのです。まあ、母親と息子の関係ですから、やっぱり下鴨さんの方が本家なのでしょうね。

ただ、葵祭では御所を出た行列が、まず下鴨神社に寄り、最後に上賀茂神社で祭を終えるわけですが、これは地理的なものではないかと思います。御所と両神社の位置を考えると、どうしても、行程上そうならざるを得ませんね。

ところで、賀茂一族の勢力範囲は、実は上賀茂までにはとどまらず、もっと北の、あの貴船神社まで及んでいたのです。

伝説によれば、浪花の津(大阪湾)に黄色い船に乗った女の神様が現れ、「われは玉依姫なり。この船の留まるところに社殿を建てて、そこの神様を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん。」とのお告げがあったのだそうです。

この玉依姫が、その後、下鴨神社の祭神になったわけですが、ともかく、その黄色い船は、淀川、鴨川をさかのぼって水源の地まで行きました。そして、まずそこに社殿を建てた。これが貴船神社の縁起です。「キブネ」の名前の由来が「黄船」だとされる所以でもあります。貴船神社は鴨川水系の最北の神社であり、賀茂一族の勢力範囲だったのです。

この掲示板カフェの中で、「深泥池」というタイトルで、京都市北部にある、ちょっと薄気味悪い沼をご紹介したことがありました。

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?no=2251

その中でも、深泥池と貴船の関わりのことにふれましたが、やはり水系だけではなく、賀茂一族という点でも、この両地はつながっていたのですね。

現在の下鴨神社・上賀茂神社は、両方とも、本殿・権殿(国宝)が文久3年(1863)の再建だそうでして、なんと幕末の騒然とした時期に立て替えられたものなのだそうです。

その他の建物(殆どが重要文化財)は、江戸時代初期の寛永5〜6年(1628 〜 1629)の建築物だそうでして、世界文化遺産にも登録されています。ちなみに社殿の配置は両社とも平安時代からまったく変わっていないのだそうです。

京都三大祭でお馴染みの「葵祭」も両社の共同で行われます。賀茂社が今のように下・上に別れる前の6世紀頃に始められたそうですから、これは「下鴨の」でも「上賀茂の」でもない、「賀茂社」のお祭りで間違いありません。葵祭は毎年5月15日に行われます。

この葵祭に関しましても、当掲示板では、「斎王代(さいおうだい)」というタイトルでおしゃべりをしております。もしご興味をお持ちになりましたら、ご覧いただけたら、うれしく存じます。

http://www.el-saito.co.jp/cafe/cafe.cgi?no=1480

ついでですから、ご紹介させていただきますが、下鴨神社で行われるお祭りの中で有名なのは「流鏑馬(やぶさめ)神事」です。

京都の鴨川は西から流れて来る賀茂川と東から流れて来る高野川が合流して1つの川、「鴨川」になります。

この2つの川の合流点にあるのが下鴨神社の「糺の森(ただすのもり)」です。有史以前からある古代の森(今でもおよそ、3万6千坪)なのですが、下鴨神社の参道がこの糺の森の中央を貫いています。

この参道の西側に平行して作られた馬場で、毎年5月3日に、疾走する馬上から馬場横に設置された的(3ケ所)をめがけて矢を放つのが、流鏑馬神事です。

一方で、上賀茂神社でも同じように馬を使った神事が、毎年5月5日に行われます。こちらは「競馬(くらべうま)」と呼ばれます。ケイバではありません。

今年の農作物の出来を占う神事で、文字どおり「ケイバ」の勝敗で占いをします。右方・左方に分かれた騎手が対決するのですが、まずは故事にならって、左がワザと勝ちます。

そしてその後は、約束なしの本気対決です。古来からこういう行事は「占い」よりも、勝負や賭けの方が人々の興味をより強く引くのは同じですね。

勝った方は大宴会で勝利を祝います。負けた方はがっかりするのですが、そこはそれ、負けるのも大切な神事のひとつです。後日、貴船神社で「笞(しもと)祭」が行われるのだそうです。

負けた方が、「梅の枝」をムチがわりにして、勝者と審判を打ち据えながら(もちろんマネだけです。本当に打つのではありません。)、延々と因縁を吹っ掛けるのだそうです。

貴船神社が水の神様と縁結びの神様だけに、勝ち負けや恨みを水に流し、仲直りさせるというところなのでしょう。

ところで、こんなことを調べていてわかったのですが、「埒(ラチ)があかない」という表現の語源は、実は上賀茂神社の「くらべうま」にあったのだそうです。

上賀茂神社の「競馬」の神事が終わると、馬場に張り巡らしたロープを外します。祭の後始末なのですが、実はこのロープが「埒(らち)」と呼ばれているのだそうです。
上賀茂さんのお祭りが終わって、埒があいたら次は葵祭のj準備です。賀茂の祭りが終わらない事には埒(ラチ)があかない・・・。とまあ、こういうわけです。

ところで、船形送り火の形ですが、他の「大」、「妙」、「法」、「鳥居」と比べて、なんとなく異質に思っていたのですが、もしかしたら、下鴨神社と貴船神社の祭神である、玉依姫命が乗ったとされている、黄色い船がその原型なのかもしれないなあ、と思いました、まったくの想像ですが・・・。いかがですか、上の絵図をご覧いただいて、そんな気がしませんか?

ともかく長い歴史を持つ街ですから、実にいろいろありますねえ、京都は。


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