あえて引用させていただきました。

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↑ よろしければ、写真は是非クリックしてご覧ください。


あえて引用させていただきました。


上の写真をご覧ください。これはかなり有名な写真ですので、僕もそうでしたが、過去にきっとどこかでご覧になったことがある方が多いと存じます。

写真と同様に、以下の書き込みの中の <引用> という部分は、ネット上のいくつかのサイトから引用させていただきました。コトの性質上、僕は1人でも多くの方にこの写真と、その背景を知っていただきたいと感じたのです。そしてネット上に、このことを書き込んでおられる方々も同趣旨だと感じましたので、あえてそうさせていただきました。どうかご了承ください。

この写真は、Joe O'Donnell(ジョー・オダネル、ジョー・オドネル、またはジョー・オドンネル)というアメリカ海兵隊の従軍カメラマンだった人物が、1945年(昭和20年)9月に日本で撮影したものです。場所は原爆被爆直後の長崎でした。

O'Donnell という名前からして、彼はおそらくアイルランド系のアメリカ人だと思われますが、奥さんは日本人です。坂井貴美子さんという方だそうです。氏は今年、2007年8月にテネシー州ナッシュビルで亡くなりました。享年85歳で、死因は脳出血だったとのことです。

実は氏が亡くなったこと、それから親族、つまり妻の坂井さんが、この写真を長崎市に寄贈し、長崎市ではそれを原爆資料館に展示することに決定したという2点で、氏とこの写真が最近話題になったという次第です。坂井さんと長崎市の決断に僕は拍手を送りたいと思います。

写真では、裸足で粗末な服装をした少年が直立不動の姿勢で幼児をおぶっています。かつての日本の町や村では、こうして弟や妹を背負った子供達の存在というのは、ごくありふれた風景でした。

少年が背負っている幼児は、ぐっすりと眠り込んでいるかのように見えなくもありませんが、実はそうではないのです。少年は、原爆症なのか、他の病気、あるいは栄養失調なのか、ともかく亡くなってしまった弟(たぶん)を背負って、焼き場に来て、多くの遺体を焼却している現場で、じっと自分の番を待っているところなのです。

以下は、彼がこの写真をアメリカ空爆調査団のカメラマンとして撮影したときの回想インタビューからの引用です。

<引用開始>

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。

しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。

<引用終了>

何度見ても涙が出てくる写真ですが、あなたはどうお感じですか? 

これを撮影した氏は、1946年にアメリカに帰国後、1968年まではホワイトハウス付のカメラマンとしてトルーマン大統領を始め、歴代の大統領に仕えました。そして、この写真を含めて軍や政府の意図にそぐわない写真の多くを、ネガのままで自宅のカバンにしまい込んで封印していたのだそうです。

この1枚をはじめ、戦争の悲惨さを伝える写真の多くの封印を解いたのは、氏が1989年に米国内の反核運動に触発されてかばんを開けた時でした。1990年、アメリカで原爆写真展を開催しましたが、ワシントンのスミソニアン博物館での展示は、アメリカ在郷軍人会の圧力に遭って中止になったと聞きます。いかにもありそうなことです。

その後、1995年に、封印を解いた写真を使った写真集、「トランクの中の日本」(小学館)を日本で出版しました。でもその時は、アメリカではまだ出版はできませんでした。

今年の夏の終わり、日本では国家主義的なイデオロギーを声高に唱えていた首相が、心身の衰弱により、自ら辞任しました。彼は戦争の持つこうした面をどう考えていたのでしょうか? 戦争には不可避のこうした面を思いやる感性と想像力を持っていたのでしょうか? 

僕の世代は、こうした悲惨を伝聞ではありますが、自分達の直前の世代が体験せざるを得なかったこととして捉えることが、かろうじてできた世代です。それだけに、こうしたことと全く縁遠い、後に続く世代の人々に、そのことを如何に伝えるかという大きな責任を負っています。僕もその責任を持つ世代として、残された人生の中で、微力ながらできることをしたいと思っております。

写真の中の、足に浮腫がみられ、自身の健康状態も決してよいとは思えなかった兄の少年は、その後どんな人生を歩んだのか、氏は手を尽くして再会を望んだのですが、ついに果たせなかったと聞きます。あらためて皆さんのご冥福を祈ると共に、この写真を歴史から消さないための努力をされた氏の奥様、坂井貴美子さんに心からの敬意を表します。

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