ハポン一族

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ハポン一族


スペイン語では、日本のことを「Japon」と書いて、「ハポン」と読みます。スペイン語では、「J」は、英語的には発音しないのです。

スペインと日本との交流の歴史を見てみますと、キリスト教や文化を介して、それなりに密接な結びつきがありましたが、ヨーロッパにはイギリス、ドイツ、フランスなど、近代日本との関係から見たら、スペインよりも、もっと結びつきの深い諸国があります。

でもそのスペインのある特定の地域に、「Japon = ハポン」という名前を持った一族と言うか、人々が居るのだそうです。人数は、それほどたいしたものではなく、全部合わせても千人程度。何万人も居るわけではありません。でもこうした現象は、イギリス、フランス、ドイツ等にはないことですね。

なぜ、そんな「日本」というファミリーネーム = 苗字を持った人々が、こんな遠隔の国に居るのか、というのが今回のおしゃべりの内容です。たとえば日本のどこかの田舎に、「素平院(スペイン?)」さんという苗字の人達が、かたまって住んでいるようなものでしょうか? ちなみにスペインは、漢字で書くと、「西班牙」なのだそうです。一体どうやったら、スペインと読めるのか、僕にはわかりませんが。

ちょっと上の地図をご覧いただけますか? スペインと北アフリカのモロッコの間にある狭い海峡、ジブラルタル海峡を少し北西に上がった所に、カディス (Cadiz) という町があるのがおわかりでしょうか? 

そのカディスを、海岸沿いにまたほんのちょっと北上すると、河口に出くわします。小さな地図ですので、そこには書いてありませんが、その河口の町は、サンルーカル・デ・バラメーダ (Sanlucar de Barrameda) という町です。そして、そこからグアダルキビル川 (Guadalquivir) をさかのぼると、セビリア地方の中心都市、Sevilla(セビリア)にたどり着くわけです。

くどくどと、スペイン南西部の地理に関して申し上げて来ましたのは、このグアダルキビル川をさかのぼって、セビリアに着くほんの少し手前に、「ハポン」一族が住んでいる、コリア・デル・リオ (Coria del Rio) という町があるからなのです。

地図にも載っていないようなこの小さな町が、実はハポン一族の拠点なのです。人口2万4千人程度のこの町には、現在600人だか、800人だかのハポンさん達が住んでおられるのだそうです。

突然ですが、支倉常長(はせくら つねなが)という歴史上の人物のことを覚えておられますか? 日本史の時間に必ず聞いたはずの名前です。戦国時代から江戸時代初期にかけて生きた武士で、仙台の伊達政宗の家臣でした。

支倉常長(1571年 〜 1622年)は、伊達政宗の命を受けて、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航し、ローマでは時の教皇パウルス5世にも謁見しました。結局、本来の通商の拡大という目的は、徳川幕府のキリシタン弾圧や鎖国政策によって実を結ぶことはなかったのですが、1613年に日本を出発して、7年後の1620年に帰国しました。彼自身は、滞欧中に洗礼を受けて、キリシタンとなりました。洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。

支倉常長が、大きな野望のあった伊達政宗の命を受け、イスパニア人でフランシスコ会修道士ルイス・ソテロを正使に、自分は副使兼特命全権大使となり遣欧使節として、石巻港から太平洋に乗り出したのは、1613年9月15日のことでした。

それから太平洋を乗り切って、まずメキシコのアカプルコに立ち寄り、また次には大西洋を船で越えて、ついに翌年、1614年10月、ヨーロッパに到着しました。今なら12〜13時間で飛んで行けるヨーロッパに到着するのに1年間以上かかったわけです。

大西洋を渡ってきた船は、イベリア半島に深く切れ込むグアダルキビル川をさかのぼり、新大陸貿易の拠点として繁栄していたセビリアに向かいました。一行が上陸したのは、セビリアから12Kmほど下流の町でした。ここから陸路でセビリアの町に入るというのが、当時の習慣だったらしいのです。そして一行が上陸したこの町こそが、コリア・デル・リオなのです。支倉常長一行のヨーロッパ初の上陸地点が、この町だったのです。

その後一行は、1615年1月30日に、イスパニア国王フェリペ3世、同11月3日にはローマ教皇パウルス5世に謁見しましたが、日本ではその年には大阪夏の陣で豊臣家が滅び、徳川幕府の本格支配が始まっていました。結局、時代の流れに合わなくなった一行は、成果をあげることもなく、1620年に帰国しました。

その時には、日本ではすでにキリシタン禁教令が出されており、常長は1922年に失意のうちに亡くなりました。さらにその後、1640年には、息子の常頼が、召使がキリシタンであったことの責任を問われて処刑され、結局、支倉家は断絶しました。

という時代の犠牲者となった使節団だったのですが、実は使節団の中に、日本でのキリシタン弾圧のことを聞いて、帰国をあきらめ、ヨーロッパに残った人々が少数ながら居たというのです。

ローマからの帰途も、ヨーロッパを離れる前に、一行はこの町にしばらく滞在しました。ここから船に乗れば、あとは海を越えて新大陸経由で日本に向かうことになるわけですから、ヨーロッパ最後の地で、あれやこれやの事情を考えて、永住を決断した人達が居ても不思議ではありませんね。

ハポンの苗字が初めて記録に登場したのは、1646年のこの町の公文書に「バルトロメ・ハポン」という人物が登場したのが最初なのだそうです。子供が生まれると、洗礼時に父親の名前を入れる習慣がありますから、彼の父か祖父が日本人であったということが十分考えられます。

スペインに関することなら、やたらに詳しい、作家の逢坂剛氏の本に書いてありましたが、スペイン人の姓の起源には次のようなパターンがあるのだそうです。

a)クリスチャン・ネームが転化したもの
  例: フェルナンド → フェルナンデス、 マルティン → マルティネス

b)自然や地形から来たもの
  例: カンポス(野原)、モンテス(山)

c)出身地名から来たもの
  例: バレンシア、セビリア、マドリード、エスパーニャ、イングレス(イギリス人)

c)のケースとしては、例えばギタ−リストのセゴビアや、画家のエル・グレコなども挙げられます。エル・グレコとは、スペイン語でギリシア人という意味です。彼は本当にギリシア出身で、本名は、ドメニコ・テオトコプロスだったのだそうです。そんなちゃんとした名前がありながらも、「ギリシア人」と、呼ばれて、それがそのまま苗字になってしまったわけです。これを考えると、支倉使節団の居残り組も、ハポン、つまり日本という出身地が、そのまま苗字として呼ばれるようになったという事は十分にありうると思います。

という次第で、慶長遣欧使節以来400年近く経ってなお、そのDNAを受け継いだ人々が、異国の地に居るというのは、なかなかにロマンをかき立てられる話ですね。

それにしても、「平泉紀行 その 3  − 中尊寺の金色堂と鞘(さや)堂 −」でも書きましたように、平泉や十三湊(とさみなと)、それに今回の慶長遣欧使節団などのことを考えますと、東北地方って、どちらかと言えば、その閉鎖性が特徴的なイメージになっていますが、意外に海外との結びつきを強く持っていたのですね。あらためて感じています。東北再発見といったところです。

ハポンさんのこと、慶長遣欧使節のこと、調べれば調べるほど、その面白さに引き込まれていくように感じています。もう少し材料が揃ったら、また書きます。それにしても、このアンダルシアの田舎町、コリア・デル・リオという所に、是非一度足を運んでみたいという気になりました。

Re:1   齋藤 恵   2005年10月25日(火)00:00
ハポン (Japon) さん達が、日本人のDNAを受け継いでいるのではないかということの傍証を入手しましたので、ご参考までにご紹介させていただきます。

1)ハポンさんたちは、幼少時に、蒙古斑が出ることが多いのだそうです。コーカシアンというか、ヨーロッパ系の人種にはない現象です。日本人を含む、モンゴル系の遺伝子を受け継いでいる証拠でしょうね。

2)スペインでは、稲作はけっこう行われているのですが、主流はモミを水田にバラ撒く方法です。でもこの地方だけは、伝統的に苗床を作る日本式の方法を採っているのだそうです。これも日本から稲作技術を伝えた証拠でしょうか?

3)ハポンさん達の多くは、「私の先祖はサムライだ」と、その苗字をとても誇りに思っているのだそうです。日本人と言わずに、サムライと言っているところが示唆的ですね。日本には、よい意味でのサムライはもう居ないのかもしれませんので。
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Re:2   日吉   2006年01月20日(金)20:11
おもしろいですねぇ、スペインに「ハポン」という苗字の一族がいるなんて。(拝読してすぐそう感心したのですが、何かと慌ただしくてコメントがこんなに遅れ、失礼します。)

しかもそのハポンさんたちは支倉常長一行の末裔だなんて、大変にロマンチックなお話です。いったい何人ぐらいが日本に帰らずにスペイン永住を決意したのでしょうか。現在のハポンさん一族は、「祖先はサムライだ」と言っても、顔つきはもうすっかりスペイン人でしょうね。

マレーシアのマラッカに、Portuguese Fishermen’s Village(ポルトガル人漁師の村)と呼ばれる所があります。マレーシアでポルトガル人に会える!と、興味津々で行ってみましたら、どうもそれらしき人々は見当たりません。たまたま現地で知り合った地元の華人系マレーシア人に、「あの人はポルトガル人だよ」と囁かれた人は、どう見てもマレー人かインド系人にしか見えませんでした。きっとスペインのハポンさんたちもそういう感じなのだろうなぁと想像しています。

ところで、「西班牙」というのは中国語でスペインのことです。これがなぜスペインかというと、「スペイン」(Spain)というのはスペインのことを指す英語ですが、スペイン語では「エスパーニャ」(Espana)といいます。西班牙の中国語の発音は「シーパーニャ」なのです。
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