松本清張の復権


松本清張の復権


松本清張という作家がおられました。1909年(M42年)生まれで、単なる推理小説作家ではない、反骨の文学を孤立の中で作り上げた、すばらしい作家だと僕は思っております。

1992年(H4年)、82歳で亡くなるまで、一貫して社会の下層に生きる人達の視点を大切にした「社会派推理小説」を書き続け、旺盛な創作意欲を持ち続けました。

長編推理小説を量産したことから、安っぽい流行作家であるかのように言われることもあるようですが、彼は決してそんなタイプの流行量産作家ではありませんでした。清張には、書かなければならない、どうしても書きたい材料が、本当にたくさんあったのです。

その松本清張が、現在的意義を持って、今の日本社会に戻って来ているように僕は感じており、そのことはとても意義のあることだとも思っております。

たまたま昨日、ある雑誌で「松本清張論」を見まして、僕が漠然と考えていたことを、見事に整理しておられる方の記事を読みました。ああ、そういうことだったのか、と強い共感を覚えたものですから、ここにご紹介したくなってしまいました。(早稲田大学の先生で、文芸評論家の高橋敏夫氏という方です。)以下は、高橋氏が説かれたことを、僕なりにまとめたものです。ご興味がある方のみ、ご一読いただけたら幸いです。

そう言えば、昨年はTVでも、「砂の器」や「黒革の手帳」など、清張の作品が、現代風にアレンジされてドラマ化されていました。その他にも、清張の原作がドラマになることがしばしばあったようです。なぜでしょうか? TV嫌いの僕ですら、清張の作品がTVドラマになると聞くと、見てみようかなと思ってしまうくらいですから、やはりその魅力は強いと思います。なぜなのでしょうか?

著名な作家が70歳代の後半になると、よく、○○勲章だの、○○褒章だのを、「お上」からもらうことが多いように思いますが、松本清張氏は、民間の文学賞はいろいろ受賞しておりますが、みごとに「お上」系の賞とは無縁でした。

僕の私見ですが、これは作家として大切なことだと思っております。文学やジャーナリズムは、本来、不可避的に腐敗し、不可避的に他を抑圧する権力 (それが、いかなるイデオロギーにもとづくものであれ) を監視し、批判する精神を強固に持つべきだと僕は思っているからです。時の権力に媚びたり、それらを擁護する精神からは、上質の文学や、のびのびしたジャーナリズムなどが生まれようはずがありません。言葉に深い興味を持っている僕が、この作家を好きな理由のひとつは、ここにあります。

ところで、ご紹介したい清張論は、まず彼の生活史から4つの特色を拾っています。

1)清張自身が社会の最下層から生まれたこと。それゆえに、社会の上層であるエリートや権力者への厳しい目と、下層を生きる者達への強い共感があります。

2)彼が自己を形成するのは、芥川龍之介が自殺し、プロレタリア文学が登場する時代でした。つまり、知性で世界を掌握しようとした個人の無力がはっきりし、体制と抗争する集団とその思想、文学などが登場する時代だったのです。同年生まれの作家としては、太宰治、大岡昇平、花田清輝などがいます。小林多喜二、山本周五郎は清張より6歳年上です。

3)学歴や職業で差別される側にいたこと。彼は出身地、福岡県で尋常高等小学校を15歳で卒業すると、ある電気会社の小倉出張所の給士として、人生で最初の職につきました。

4)皇軍兵士として悲惨な体験をしたこと。1943年、34歳で召集され、朝鮮半島で敗戦を迎えました。植民地における皇軍の暴力性・残虐性と、大日本帝国陸軍という日本的集団の残酷さ、愚劣さを徹底的に体験せざるを得なかったのです。

こうした実体験を基礎に持っていた清張文学に一貫して存在している、もうひとつの精神は「隠蔽と暴露」です。隠れてしまったものは、たんに見えなくなったのではなくて、そこに隠蔽する力が働いている。その中で最も強力なのは支配する側の力であり、その支配的な力に抗して、隠蔽されたものを顕在化させる。これが清張が終生貫いた文学的生き方でした。

清張が暴露し、顕在化させようとしたものは何か。それは彼の生きた時代を踏まえて、以下の4点にまとめられます。

1)1955年から始まる脱戦後 = 高度経済成長の時代に、暗い過去を隠蔽しようとする動き。「ゼロの焦点」などがその典型です。

2)政治権力、官僚、財界などによるお手盛り政治の隠蔽。「点と線」がそれです。

3)アメリカ占領軍による占領政策の中での隠蔽。「日本の黒い霧」はそれを扱ったノンフィクションです。

4)天皇制国家による隠蔽。「昭和史発掘」などです。特高警察による小林多喜二の拷問・殺害などは、綿密な考証と精緻な文章力で、多喜二や残された親族の無念さをよく表現していると思います。

清張の文学は、こうした様々な隠蔽に手を貸す学問、思想、ジャーナリズムなども、容赦なく告発しています。結局のところ、隠蔽を当たり前のこととして、堂々と暴力的に行なって来た戦前の日本社会が敗戦で崩壊した戦後社会でも、依然として隠蔽は続いていたのです。しかも、それは戦前よりも、ソフトで、見えにくく、複雑な形で行なわれていました。だからこそ、清張の活動領域は社会全般に及んで行かざるを得なかったのです。

ところが、清張文学にも大きな転機が訪れました。いわゆる55年体制では、保守が隠蔽し、革新が暴露するという構図で来たのですが、70年代以降の日本社会では、「豊かさ」の拡大により、従来は一方的に暴露する側にいた「労働者・大衆」のかなりの部分が、社会の矛盾をむしろ隠蔽する側に、いつのまにか回ってしまっていたのです。「ダラ幹」や「御用組合」という言葉で表わされる存在などが、その典型です。

そうなると、隠蔽されたコトの暴露は、従来よりももっと広範な人々にとって、うれしくないものになりました。自分達の寄って立つ立場が切り崩されるように感じてしまう人々が、それまでよりもずっと増えてしまったのです。

80年代に入ると、それはさらに進み、ミステリーの主流は「社会派」から、「新本格派」と呼ばれる、知的遊戯に贅を尽くすタイプに変わって行きました。清張はもう古いという言い方がなされてきたのです。この時期、清張がもっぱら日本古代史を研究し、それをテーマにした作品を書いていたことを、今、思い出しています。彼なりに日本社会の変化を感じ取っていたのだと思います。

80年代の終わりになると、現存する社会主義の大崩壊が始まりました。「隠蔽と暴露」は、暴露の向こう側に社会主義的な解決を遠望していました。これは革新勢力だけでなく、清張文学においてもそうであったと思います。でも、それが壊れ、清張はソ連邦崩壊の翌年に亡くなりました。

90年代に入ると、ミステリーは急速にホラーに変わって行きます。従来のミステリーには、テーマは様々でも、少なくとも「隠蔽と暴露」があり、暴露が解決につながるという構図でした。

それに対して、ホラーは、隠蔽はあっても、解決も、もちろん暴露もありません。問題が起きても、人々は何もできず、ただ壊れていくのを待つしかないのです。

こうした状況から、何が生まれたかと言いますと、実は何の解決も見出せない手詰まりの状況だけでした。次々に生起する社会問題、政治問題を解決する方向がまったく見出せず、暴露できない問題が行き場を失い、時代に還流して、さらにすさんだ時代を作り出しているのが現在の日本です。

こんな状況を前にしているからこそ、ぜひ松本清張を読んで欲しい。読む意義があると強く訴えたいと思います。おそらく、人々のそうした精神状況を読んで、清張作品がTVドラマ等でもカムバックして来ているのではないか、と感じます。

松本清張の世界の深さ、広さ、怖さ、そして人と人の連帯を求める情熱の強さは、今、存在意義を大いに強めています。ぜひ清張を読んでみませんか?


以上が、高橋氏の説を僕なりにまとめたものです。文中の主語が、高橋氏だったり、僕だったりしていて、たいへん恐縮ですが、まあ大同小異とお考えください。

松本清張氏は、きっとこれからますますその存在意義を高めていく。そんな気がしています。そしてそれがまた、日本社会のわずかに残された健全性をより力強いものにするだろうとも。それにしても、松本清張は偉大な巨人でした。

Re:1   日吉   2005年02月17日(木)00:00
恵マスターおよび高橋敏夫氏の松本清張論に共鳴します。また、松本清張の作品に日本の社会のあり方の反映されていることの分析も、全くその通りと思います。

いま、清張の作品が見直されているというのは、心強く感じますねぇ。

ところで、この高橋敏夫氏の記事はどの雑誌に載っているのですか。全文を読んでみたくなりました。
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Re:2   齋藤 恵   2005年02月18日(金)00:00
日吉さん、コメントをいただきまして、本当にありがとうございました。

今日は仕事上の勉強会で、新潟市に来ております。夜遅くまでかかってしまったものですから、ご返事が遅くなりまして、ごめんなさい。

高橋敏夫氏の松本清張論の詳細は、よろしければメールでお送りいたします。お手数ですが、以下のアドレス宛に、日吉さんのメールアドレスからご依頼メッセージを簡単にでけっこうですから、お送りいただけますか?

s-saito@el-saito.co.jp

帰社次第、出来る限り早く、内容の詳細を添付ファイルにしてお送りいたします。

ちなみに、掲載されていた週刊誌は、「週刊金曜日」です。

よろしければどうぞ。いつもご来店、本当にありがとうございます。
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Re:3   齋藤 恵   2005年02月18日(金)00:00
日吉さん、アドレスのご連絡ありがとうございました。

早速、画像データにしてお送りしておきました。うまくお読みになれるとよいのですが。

万一、ファイルが開かないような場合は、どうぞ、ご遠慮なくお問い合わせください。

記事がご参考になりますように。
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Re:4   日吉   2005年02月19日(土)00:00
お忙しいのに、早々にお送りくださいまして、本当にありがとうございます。いま、開けてみました。ちゃんと読めます! 早速読ませていただきますね。
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Re:5   日吉   2005年02月19日(土)00:00
お送りいただいた高橋敏夫氏の松本清張論、そして横山秀雄・佐高信の対談も、おもしろく読ませていただきました。
高橋敏夫氏の松本清張論は恵マスターが見事にまとめられたということの方に感心してしまいました。

こちらの大学の図書館を調べてみましたら、清張の本はたくさん入っていますので、読んだことないものはもちろんのこと、以前によんだことのあるものももう1度、これからじっくり読んでいこうという気になりました。

すばらしい書き込みを、本当にありがとうございました。
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